◆構図至上主義(6)−映画界のセザンヌ

  • 2018.02.28 Wednesday
  • 05:10

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

 

映画界のセザンヌ 【参考文献】

 

 

構図の類縁性
 

 津安二郎の映画「父ありき」修学旅行の湖畔からの風景では(図1 06:52)、画面の上辺に外れた処から左端に見える松の枝が垂れ下り、正面に富士山、下は芦ノ湖が映されますが、フランスの画家ポール・セザンヌ(1839-1906)にもこれとよく似た風景画があります。それは同じように左手に松が描かれ、その上方から垂れ下る枝、正面の山はサント・ヴィクトワール山、そして下方には平地の広がる「大きな松の木のあるサント・ヴィクトワール山」(図2 1886-88年 ロンドン、コートールド美術館)。
 

映画界のセザンヌ1b 大きな松の木のあるサント・ヴィクトワール山
 図1「父ありき」芦ノ湖  図2「大きな松の木のある
             サント・ヴィクトワール山」











 

また小津の「彼岸花」箱根芦ノ湖畔の、左右に大きな幹のある風景は(図3 36:47)、セザンヌの「ル・トロネ街道沿いの木と家」(図4 1886年 メトロポリタン美術館)などの、沢山の木々が立ち並び、中央の隙間から遠景の臨める数々の風景画を思わせます。
 

映画界のセザンヌ3b ル・トロネ街道沿いの木と家
 図3「彼岸花」芦ノ湖畔  図4「ル・トロネ街道沿いの木と家」











 

「秋日和」で二本の木が立っているゴルフ場(図5 59:37)と、セザンヌの風景画「サント・ヴィクトワール山と高架橋」(図6 1882-85年 メトロポリタン美術館)。両者を大胆な構図としている、中央に真っすぐに立つ木の幹は露出して細く、画面を左右に分断します。そしてセザンヌの左側に描かれている木々は、小津の幹だけが太く映される一本の木と同じように、画面の左をさらに等分しています。
 

映画界のセザンヌ5b サント・ヴィクトワール山と高架橋
 図5「秋日和」ゴルフ場  図6「サント・ヴィクトワール山と高架橋」











 

「小早川家の秋」画面いっぱいの保津川の岸部で、左側の松の幹が大きく映るショットには(図7 52:47)、同じく広い水面と、左端に太い幹が描かれているセザンヌの「アヌシー湖」(図8 1896年 ロンドン、コートールド美術館)。
 

映画界のセザンヌ7b アヌシー湖
 図7「小早川家の秋」保津川の岸部  図8「アヌシー湖」











 

これらの小津とセザンヌの画は何れも重ね合わせて一致するようなものではありませんが、構図における類縁性が感じられます。

   ザンヌの風景画はどの位置からどの向きで描いたのか見分けやすいといわれますが、しかしそれはかなりデフォルメされています(「セザンヌの構図」p.156)。例えば度々描かれているサント・ヴィクトワール山などは、左右反転した起伏のあるマッター・ホルン(図9)を思わせますが、実際にはもっと平らで端が欠けている丘のような形をしています(図10)。
 

マッター・ホルン サント・ヴィクトワール山
 図9 マッター・ホルン  図10 サント・ヴィクトワール山










 

   上のことから風景においては、セザンヌが編み出した構図は実物よりも小津の選んだそれに、より近いと言えるのではないでしょうか。


 

 

絵画的お遊び

「浮草」では嵐駒十郎(中村鴈治郎)がすみ子(京マチ子)と並んで座る舞台化粧の場面で、奥に座る彼の顔がすみ子の見ている右の鏡に写ります(図11 39:34, 47:04)。普通このような映像は、人物が後ろ向きになって表情が分らないような場合にありますが、ここは駒十郎の顔がはっきり映っているにも関わらず、鏡にも同じように写ります。監督は鏡に人の顔が写るのを楽しんでいるのです。

 

 

映画界のセザンヌ11b
 図11











 

すみ子も加代(若尾文子)と二人で座っていると、やはり奥に座る彼女の顔が、ここでは殆ど見えなくなった時に、加代の鏡にはその表情が分るくらいに写ります(57:00)。これは型からすると普の演出といえますが、その性質は先ほどのものと変りません。すみ子は前後で表情を変えていないので特に鏡で見せる意味もなく、しかも一瞬のことなので無くてもいいはずです。前に戻ると彼女の眼から上もあります(29:38)。

後の清(川口浩)と加代の密会の場面では、加代の首筋の辺りが背後の窓硝子に写ります(1:04:06, 1:04:21)。二度目の時はライトが強く当っているせいか、鏡のように鮮明です(実際に鏡かも知れません)。物語の終りの方では、駒十郎とすみ子の二人が駅構内のベンチに座っている時、すみ子が駒十郎の方に身を乗り出すと、彼女の額が右端の窓硝子に写ります(1:56:34)。

「晩春」では額縁が鏡の役割りを果します。初めと終りの方にある小料理屋で、亭主(清水一郎)が三度も調理場の方に向きますが、その時右の柱に掛けてある額縁の硝子に彼の背中が写ります(15:34, 1:41:50, 1:42:12)。このように客に背中を向けるような、並みの演技を執拗にやるものは他の作品にはありません。曾宮家では、北川アヤ(月丘夢路)が周吉(笠智衆)に勧められて食卓の方に寄ると、その正座した姿が正面に掛けられた大きな額縁の硝子にほぼ真上からの俯瞰で写ります(35:54)。

ここより前にも紀子(原節子)が部屋の中を動き廻るときに、彼女の姿が同じ硝子に写るのですが(27:28)、それは通過するだけなので偶然であるとも取れます。しかしこれまでに挙げた、写る位置まで動いて行き、そこで止まるものは全て図られた演出と言えるでしょう。体ではありませんが、少し前に紀子が奥の部屋でタオルをたたむ時も、それが小さい額縁にひらひらと揺れています(26:48)。

   作「風の中の牝鷄」では、織江(水上令子)の部屋に秋子(村田知英子)が持ち込んだ、衣類の包まれた風呂敷の開かれる様子が化粧台の鏡に写ります(07:00)。ここは彼女の体でそれが隠されて、直接には見えないので普の演出になります。しかしショットの初めから織江の足が鏡の隅にあり、ベッドから床の上に降りても写り続けます。その後の四つの寄りと引きのショットも役柄に合わせたように彼女の下半身が必ず写るので(07:27, 07:33, 07:41, 07:45)、これによって鏡による小津の遊び心が芽生えたのだと思われます。それらも全て鏡の外に実物が映されています。ちなみに「動く小道具」で見たように、ここでも引きと織江のアップとでは化粧台の上にある壜の並びが異なります。

「早春」うどんの会では、部屋に入って鍋に近寄る人物三人(須賀不二夫、高橋貞二、岸恵子)の姿が、左上の窓際に立て掛けてある鏡に写ります(1:23:20, 1:24:02, 1:25:07)。しかし、その前にある麻雀の場面では、鏡がよそを向いている(真っ黒なので裏を見せている?)ので何も写りません(35:41, 36:33, 36:52)。後の杉山の送別会の時は何かの影がそれに写っていますが、ここは動きません(2:14:32)。

「お早よう」の福井(佐田啓二)が、家出した林家の子供たちを探しに出るために着替えをする時、体は横向きですが洋服ダンスの鏡にほぼ正面の姿が写ります(1:22:29)。「秋刀魚の味」の最後のショットは平山周平(笠智衆)が台所に向い出す初めから、手前の障子の硝子にその上半身が写り、それは椅子に座るまで続きます(1:51:47)。このため屋内の描写としては離れすぎの感があります。小津の遺したショットは鏡のお遊びで終わっていたのです。

   の作品では顔や体の撮り方に遊び心のあるショットも見られます。恩師(東野英治郎)を招いた飲み会では、酔い潰れた彼が右側に倒れると、食卓の脚の隙間から顔の真ん中だけを二度も覗かせています(1:08:00, 1:08:52)。東野は薄目を開けて位置を合わせているのかも知れません。

路子(岩下志麻)が嫁ぐ日には、その花嫁姿と彼女に近づいた秋子(岡田茉莉子)が障子の硝子越しに映ります(1:38:22)。ここは明らかに見せるためにあるものですが、その映り具合はまるで万華鏡のようです。右側の姿見との境界を挟んで、秋子の顔が半分ずつ見えますが、路子の顔は隠れているので少し怖い。

「お早よう」では西洋の寝巻を着ている丸山みどり(泉京子)の、上向いて牛乳を飲む時の頭部が硝子戸越しに二回見えます(08:25, 08:33)。ここは水中から顔を覗かせているような感じです。
 

 

個性と普遍性

   上の絵画的なお遊びは、セザンヌの肖像画を連想させます。セザンヌの方はお遊びではありませんが、人物の左顔面を暗く描いて後退させます。ピカソはこれを顔の左が正面、右を横向きと捉えて描画していますが(こちらはお遊びにも見える)、今ではコンピューター・メーカーのロゴにもなっている人物描写です。

彼はセザンヌに対するオマージュの積りで拝借したのでしょうが、セザンヌには決してそのような正面、横向きの同時描画などという意図はなかったはずです。写真でも人物に斜めから光が当ればセザンヌの描いたようなものになります。決して杓子定規な顔面横、正面の描画ではありません。

   らにルネッサンス以降の、肖像画に描かれる顔は左右対称で理想像といえますが、本来このように見える人の顔はまれで、セザンヌはこの非対称を絵画的に表現したのです。「ジョワシャン・ガスケの肖像」(図12 一八九六〜九七年 プラハ国立美術館)、「赤い服を着たセザンヌ夫人」(図13 一八八八〜九〇年 ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などが典型ですが、特にこれらの顔は崩れています。セザンヌの肖像画に、およそ理想像など有り得ません。

 

 
ジョワシャン・ガスケの肖像 赤い服を着たセザンヌ夫人
 図12「 ジョワシャン・ガスケの肖像」  図13「赤い服を着たセザンヌ夫人」

















 

肖像画は静物や風景とは異り、眼を中心としてモデルの個性が現れやすいわけですが、セザンヌはその顔を崩すことによって人物を物として捉え直し、画面の統一を図ったのです。印象派のモネなどにも、屋外では「パラソルを差す女」(一八八六年 オルセー美術館)のように影で顔の隠れるような絵もありますが、それは「印象」を表したのであって写実的なことに変りありません。屋内で彼の妻を描いた「ラ・ジャポネーズ」(一八七五〜七六年 ボストン美術館)の人物像は全くの理想像といえます。肖像画を理想的に描けば、その人物の個性が現れるでしょうが、セザンヌは他の静物画や風景画と同じように、描くものの個性を無くして普遍化したのです。

   ザンヌが手段としていたこの技法を、ピカソは作品の前面に誰の眼にも明らかなものとして誇張して表し、それを目的に変えたと言えます。彼はセザンヌの描き得なかったものを表現した積りだったのでしょうか。ある画家はセザンヌが若いベルナールに宛てた手紙の中で伝授した「自然を円筒形、球形、円錐形によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい」(㊷資料編 p.59)という言葉通りに、それらの図形を描きましたが、セザンヌがもしこのような絵を自身の後継者のものとして見せられていたなら苦笑したでしょう。彼の言葉は余計なものは省略せよという意味であり、風景画の中に円筒形や球体などを描けと言っているのではありません。

さらにセザンヌを追随したキュビズムの画家ブラックの風景画「レスタックの家々」(一九〇八年 スイス、ベルン美術館)のまるで幼児の描く絵のようにデフォルメされた家や木などは、どう見てもオマージュというよりパロディー、ナンセンスです。印象派の洗礼を受けて、そこから抜け出したセザンヌによる風景画の手法は自然に即してであり(㊷資料編 p.90)、彼は「芸術は、自然の永遠性を表わさなくてはならない」と言っています(㊷解釈編 p.196)。

「自然は芸術を模倣する」というオスカー・ワイルドの逆説がありますが、これは例えばある風景画を観た時、それまで漠然としていた自然界のよく似た風景の印象に対して、その作品で受けた印象を焼き付けてしまうということです。公園などに群がる冬木立はセザンヌの「ジャ・ド・ブーファンのマロニエの並木」(図14 一八八五〜八七年 ミネアポリス美術研究所)に見えます。

 

 
ジャ・ド・ブーファンのマロニエの並木
 図14「ジャ・ド・ブーファンのマロニエの並木」














 


以上は鑑賞者の立場ですが、芸術家にとっては飽くまでも「芸術は自然を模倣する」であり、これらは自然の見方、階層の違いによるものです。そして、ここでも彼は作品を普遍化していると言えます。

 

 

   自然 > 芸術家 > 鑑賞者 > 自然

 

 

 

美術界のお遊び

   画的なお遊びといえばセザンヌ晩年の風景画に、ブリヂストン美術館蔵の「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」(図15 一九〇四〜〇六年頃)があります。一般の錯覚を応用しただまし絵などは、こった精密絵でさえも直ぐにそれと分かるものです。しかしセザンヌの描いたものは、それらとは性質が異なり、究極のお遊び絵画といえるもので、もはや鑑賞の域を越えています。この絵のどこがお遊びなのかと訝ることと思いますが、画面から数メートル離れた処から前後にゆっくり移動しながら観ていると、ある地点で描かれている山が浮き出して来るのです。

 

 

サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール
 図15 「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」


 

















 

これについては、ある美術書にただこの山が浮かび上がると、さらりと書かれていたのですが、他では読んだことも聞いたこともありません。専門家の間では邪道とみなされているのか。しかしこれはもっと驚いて良いことです。セザンヌ以外にだれがこんなものを描き得るというのか。予想もできないような、普通に鑑賞していたらまず起こらないだろうと思われることを、いったい著者はどこで知ったのか。何度も見ているうちに気づいたのか。もしこの書籍を古本屋で立ち読みしていなかったら(しかもセザンヌの記事だけを半ば斜め読みした程度ですが)今でも知らずにいたことでしょう。

 

これは立体視が原理なのでしょうか。一般に立体視というと同じものを両眼で見た時の視線のずれを応用した二枚の絵によりますが、一枚の絵で起きるこれは立体視のなかでも壁紙錯視と言われています。絵でなくても、それは左右の眼の視点をずらして別々にものを見ると起ります。例えば鶏小屋の中の鶏を観察している時、普通は左右の眼に映る金網は位置がずれて、焦点も合っていないためにぼやけてぎくしゃくしていますが、鶏を眼で追いながら視点を変えているうちに左右の金網がちょうど重なる位置にくると、それはくっきりと浮き出て見えます。さらに視点を奥にずらして合わせる位置を遠くに延ばせば、金網はより飛び出して来ます。

 

このことを以下の図で確認してみます。これは金網をデザインしていますが、50センチ位の距離から橙、青、赤、紫、緑の五つある点の真ん中の赤に焦点をあわせておいて、視点を図(画面)の先に伸ばして隣の色点と重なるようにすると金網が浮き出してきます。視点をずっと先まで伸ばしていくと効果が上がります。絵も横に広がっていくわけですから、点の数も六、七、八と増えて行きます。浮き出すというより、茶色枠の奥に金網のある空間が浮かび上がるという感じです。



金網

 

 

下の左のように左右の目でべつの点に視点を合わせると右のように見えます。この時金網が浮き出てくるのです。ここでは点が2つ離れているので7(5+2)つに見えて、金網も横に広がります。

金網2

 

 ザンヌの絵は山が一つ描かれているだけで普通に観ている積りですが、視点をほんの少し画面の向こうにずらすと浮いて見えるようです。その山は途切れとぎれの輪郭線が左右に若干ぶれており、内に広がる山肌は点描画を思わせるセザンヌ独特の筆のタッチで描かれています。そして空や他の面よりは左上から右下に丁寧に描かれているようなので、この平行に並べた面を左右でずらして見るのかも知れません。ただしその場合、輪郭線とは合わないようですが。もし立体視が原理なら、上のような画像でも同じように見えそうなものですが、残念ながら山は動きません。かなり大きな画像で試しても結果は同じでした。

 

一般に絵は何度も鑑賞するのに適当な位置に下って確認しながら描いていくものですが、セザンヌはそこまで離れて観ているうちに、この現象を発見したのでしょうか。あるいは焦点をあわせた遠くの山が、周辺の風物よりも近いもののように見えるように、自然の永遠性を表わそうと勉めた彼が、二次元である絵画でそれを表そうとした結果のか。それとも、もっと安直にこの立体視の原理という知識をたよりに真似てみせたのか。セザンヌにはその道の玄人には邪道と思われるような手法を平然と行う習癖があり、例えば風景をとらえた写真を元にして描いたとされる彼の作品が数点残されています


この絵ほど山が大きく描かれているものは恐らく他にないと思われますが、日本の美術館に限り、一枚だけ存在するというのも考えづらいので、探せば他にも同じように浮かび上がる絵が見つかるかも知れません。かつてセザンヌの描く山には、何故このような輪郭線等があるのかと議論が喧しかったのですが、すべては彼の遊び心が成せる技だったのか。

 

なおブリヂストン美術館は現在改築中で、2019年秋まで同館では観ることができません。

 


   津の顔のお遊びに似たものは彫刻の世界にあります。それは上野の西洋美術館が所有しているロダン作「カレーの市民」、計六人による立像です。この彫刻はそれぞれの人物が個別のポーズをとっており向きもまちまちですが、全体的には人々の体が正面となり顔も良く見える、鑑賞するための大よその位置は判断できます。なかには体をよじって首筋を見せたり、頭を抱え込んで俯たりしている人物もありますが、彼らもその構図に納まって美しい姿勢をとっていると言えるでしょう。

そして彫刻の周りを廻って見て行けば、それらの顔も観るのに相応しい場所が必ず見つかります。中には他のすべての顔が見えなくなる間際に、群像の隙間から覗かせるものもあり、そこがその顔を見るための鑑賞者の立ち位置となっています。やがて何れの顔もいよいよ見えなくなる寸前に、向っている方から初めに隠れていた顔が見えて来ます。つまりこの彫刻には死角がないのです。
 

 

理想的な構図

津映画における、男女二人でラーメン屋の壁際に向いて座る「お茶漬の味」(図16 1:00:38)、「早春」(29:52)、「秋日和」(1:33:05)の三つのショットは、その格好が不自然だと言われますが、それは当然のことで、これらはみな構図を重視して撮られているからです。同じような構図が、先ほどの「浮草」での鏡の前に座っている駒十郎とすみ子、加代にも見られました(図11)。また「長屋紳士録」撮影中には(図17 21:50)、笠智衆が自分の筆を持つ姿勢について「そりゃあちょっと不自然じゃないですか」と問うと、小津は「僕は、君の演技より映画の構図のほうが大事なんだよ」と答えたとのこと(β萋鷯蓮愿豕物語』は僕のベストワン)。  

 

映画界のセザンヌ16b  映画界のセザンヌ17b
 図16  図17












     上は肖像についての常識と、理想的な構図とが一致しないことが原因です。先の三つのラーメン屋のショットを見ると、すべて奥に座る人物ほど体の傾斜が深くなっているのが分ります。「お茶漬の味」左奥の岡田(鶴田浩二)は背を丸めて頭を深く下げ、右の節子(津島恵子)は彼にくらべ体を起して、下方に映るテーブルに置かれた酢の瓶も含め、全体の構図は四角形となります。
「早春」では男女の位置が入れ換り姿勢も逆になって、「お茶漬の味」にあったテーブル等はここには無く、二人の体が強調されて楕円の弧を描いています。この作品は左からのショットもあり(30:22)、そこではカメラが少し引くことによって右奥に現れたもう一人の客が俯いており、二人の姿勢も変って杉山(池部良)、千代(岸恵子)と手前にくるに従って上体を起していき、全体は千代の左肘を一つの角とする五角形になります。奥の客は始めに右手前に背中だけ映る時は体を起こしていました(29:44)。

「秋日和」は再び奥が男の後藤(佐田啓二)になり傾斜も深くなって、さらにその奥に映る客は犬喰いするように頭を落し、彼の尻を頂点とする三角形の構図となります。しかし、この客は後の後藤への寄りのショットで彼の陰に半ば隠れると、そのずれを補うように、少し上半身をあげて普通に食べ始めます(1:33:20)。


「長屋紳士録」の笠が筆を持つショットは四つあって、初めは筆を持つ手だけが映り(20:07)、それが紙面すれすれなことから、彼はこれを自然とみて小津に意見したのでしょう。次は全身が映り綺麗な三角形となるように、前屈みで手首を少し上げています(20:21)。三番目はカメラに近い背後の河村黎吉が画面の多くを占め、笠はそれに合わせて上体を起します(20:28)。

そして最後は二人の前後が入れ換って、カメラに近くなった笠が中心となることにより、さらに体を起した無理な姿勢になります(図16)。上体が起きてくるごとに筆を持つ位置も、それが長くなるように段々と端に近くなっていきます。このように同じ人物の姿勢や筆の使い方が変っていくというのも不自然ですが、それはもちろんショット毎にバランスよく変化させたからで、これは複数のショットにおける、構図の推移によるグラデーションといえます。「動く小道具」でみた、友人富永栄(中北千枝子)のアパートで彼女がビールを注ぐときの姿勢の変化やコップの移動等もこの部類に入るでしょう。
 

 

独自の模倣

   津映画の会話において人物の描写が省略されていく過程は(後に書く「◆小津の文法(1)−会話」参照)、セザンヌの連作「カード遊びをする人々」に通じるものがあります。

セザンヌの方は合わせて五枚(図18〜図22)あり、初めはテーブルを囲む三人と、後ろの壁際に立つ二人が描かれていますが、人物がテーブル三人と背後に一人、テーブルだけに二人と減っていき、最後は簡素に描かれたテーブルと真横を向いた無表情な人物二人で作られる構図だけが目につくものとなります(一八九二〜九六年 オルセー美術館)。小津の会話も、晩年は二人による体も視線も正面を向く単純な構図になりました。彼らの求めていたものは深い処で一致していたでしょう。

 

 

カード遊びをする人々 1 カード遊びをする人々 2
 図18「カード遊びをする人々」1  図19 その2
 
カード遊びをする人々 3 カード遊びをする人々 4
 図20 その3  図21 その4
 
カード遊びをする人々 5
 図22 その5

































 

   津映画のあるショットは、ある浮世絵に似ているという貴田庄の指摘もありますが(構図主義)、浮世絵は印象派によって模倣され、セザンヌは若い頃に印象派から明るい絵を学びました。日本の大正、昭和初期の文壇にあった白樺派はセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらを指す後期印象派や、彫刻家ロダン等に注目し、その中の一人武者小路実篤は専門書「セザンヌの構図」の推薦文を書いています。

志賀直哉や、里見ら白樺派周辺の作家たち数人と親交のある小津が、これら全てを知らずにいたとは思えません。彼がセザンヌの絵を観たという記録は見当りませんが、日記には昭和二十七年二月六日「車でブリヂストンの美術館にゆく ゴッホ ルノアールなどみる」とあります。ここにはセザンヌの先ほどの風景画と、自画像であるもう一枚の絵が常設されており、彼は他日にも何度か訪れています。小津はたとえセザンヌに傾倒していなくてもその絵の何れかを観て、これ位のことはやっても良いんだという程の認識は得ていたでしょう。

   ザンヌの静物画「台所のテーブル(果物籠のある静物)」(図23 一八八八〜九〇年 オルセー美術館)は画面の中程にある布がテーブルの縁を隠すように垂れ下がり、そこからはみ出している縁は一直線に重ならず右上と左下にずれています。これを基にしてテーブルの右は水平に近く左は手前に傾き、画面全体は右上奥から左下にねじ曲がった空間となります。しかし右手の果物が沢山詰まった大きな籠が水平に描かれることによって、安定した構図を生み出しています。これは「『東京物語』の名場面」で見た、左隅に母の亡骸と平行に座る人物や、その後方にいる他の人々が描くような小津の構図(図1、図3)を連想します。

 

台所のテーブル
 図23「台所のテーブル」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     津映画に頻繁に出てくる食卓上の小道具の並び、ビール瓶のラベルや調味料の置き方等、それらの不自然さを見ると小津はセザンヌを模倣したとしか思えません。模倣が必ずしも拙いのではなく、鋭い洞察力を持てば独特の表現が可能となるでしょう。小津はその不自然な空間を複数のショットに渡って拡張し統一していったのです。

さらに小津映画の特徴であるロー・ポジション、人物を結ぶ線を越えての、又は視線のずれた切り返しショット、誰も見ていない風景、勝手に移動する小道具等々はとかく話題になりますが、セザンヌに対しても、その自然でない描き方にまつわる議論が盛んでした。しかし、それらが気になるのは写実的に見るからであり、作品を楽しんで観ていけば全く気にならない、むしろ無くてはならないものになるのです。
 

 

普遍性のある真実

   津は早い頃から一般的なオーバー・ラップやフェイド・イン、フェイド・アウトなどの技法は使わなくなっていましたが、後年になると彼には次の言葉が生れています。


「ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う」(⊆鬚聾鼎い曚斌がよい '58年)

これはある座談会での小津の発言ですが、ここで彼はさらに続けて、

「どうにもならないものはどうにもならないんだ。だからこれは不自然だと云うことは百も承知で、しかもぼくは嫌いなんだ。そう云うことはあるでしょう。嫌いなんだが、理屈に合わない。理屈に合わないが、嫌いだからやらない。こういう所からぼくの個性が出て来るので、ゆるがせにはできない。理屈にあわなくてもぼくはそれをやる」


   上は岩崎昶や飯田心美に指摘された、ワイドをやらないことや、O・L、カメラ移動、パンの手法などを使わないことに対しての小津の弁明です。その前の方でO・Lは「一種のごまかしの術」と彼が言って二人に笑われた後、飯田「パンもしないね」、小津「絶対にしない」に対して、飯田が「これも邪道か」と言って笑いをさそった処で、それを打ち消すように小津の弁明が始まりました。最後に山登りに例えて「もう下から登りなおすことはできない」とまで言っていますが、田中眞澄が注で指摘しているように、小津のこの発言は手の内を隠し、人を煙に巻くような日頃の言動からは外れるのですが、これは自身の型が完成していたことの裏返しです。

二年後の「秋日和」には、母秋子(原節子)が自分の再婚を否定して娘のアヤ子(司葉子)にいう言葉、「お母さん、もうこれでいいのよ。今さら、またもう一度麓から山へ登るなんて、もうこりごり」(1:55:35)がありますが、これは座談会での監督自らの心情を表しているかのようです。晩年のセザンヌには次の言葉があります。「画家は芸術における職人にならなくてはいけない。早くから自分の実現の方法を知ること。まさに絵画の質によって画家であること。手の込んでいない材料を利用すること」(㊷資料編 p.77)ここでも二人の考えは同じだったでしょう。

   象派が認められる前のセザンヌは、彼らの絵画を美術館に置かれるような、堅固で持続性のあるものにしたいと考えていました(㊷解釈編 p.214)。そして小津は映画製作について次のように述べています。


「人間が出てこなければダメだ。これはあらゆる芸術の宿命だと思うんだ。感情が出せても、人間が出なければいけない。表情が百パーセントに出せても、性格表現は出来ない。極端にいえば、むしろ表情は、性格表現のジャマになるといえると思うんだ」(∪格と表情)

「台詞の意味を正しくつかみ、その上でやたらに感情をこめるのではなく、むしろ感情を殺し、説明的でない演技を求める。その結果、観客にはそのシーンのドラマよりも、むしろ出て来る人間の共感を覚えるような演出をやりたい」(大人の映画を)


ここで、「感情」や「表情」「そのシーンのドラマ」が写実、「性格」や「人間を出す」「出て来る人間の共感を覚えるような演出」が写実を越えた普遍性のある真実であり、セザンヌの言葉で表すと「堅固で持続性のあるもの」「自然の永遠性」となります。

   がルネッサンス以降の西洋絵画が目標としてきた写実を手段に降格したように、小津もそれを目的とは見なさない作品を創り上げました。そして両者は普遍性を追求していったのです。小津は映画界のセザンヌ、百年に一人の逸材といって良いだろうと思います。

 

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)

 

 

 

◆構図至上主義(5)−分断と目眩ましショット

  • 2018.02.25 Sunday
  • 10:30

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

分断と目眩ましショット 【参考文献】




分断ショット

「秋日和」間宮宅で夫婦が食卓を挟んで三輪母娘についての噂をする場面は、二人の真ん中を分断するように小道具が現れたり消えたりします(29:12)。夫宗一(佐分利信)の側は薬と新聞、お冷のコップ、妻文子(沢村貞子)には果物を乗せた皿二枚と湯呑があり、どちらも正面からのショットでは、これらの近い物しか映りません。そして二人の横からの引きで、食卓の上に置いた夫の右腕は妻の湯呑の横にまで伸びているのですが(図1 29:48)、妻が正面の時はそれも映りません(図2 29:54)。

 

分断と目眩ましショット1b  分断と目眩ましショット2b
 図1  図2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   同じような分断ショットは「宗方姉妹」築地の宿での、満里子(高峰秀子)と田代(上原謙)の会話ですでに現れています(40:08)。満里子には急須と湯呑、菓子皿、田代は吸殻入れと一輪挿し。なお、この作品は一般に失敗作と見なされていますが、演出においては、他にも後の作品につながる新しい試みがみられます(後に書く「◆小津の文法(1)−会話」参照)。

   前作の「晩春」では未だこのような大胆なショットは見られず、夕飯の食卓の上に置かれたものは、すべて父周吉(笠智衆)の側だけに映ります(30:58)。これは紀子(原節子)の方を綺麗に撮るためか、あるいは彼女の明るい服装に小物が合わないからなのでしょうか。しかし紀子と友人アヤ(月丘夢路)の懇談の場面はアップの時、周吉が運んで来たティー・ポット、ティー・カップ等はお盆ごと消えて、少数の柄違いのカップなどが隅の方に映ります(39:24)。ここは大胆というより出鱈目です。

「お茶漬の味」の自宅で夫婦がお茶漬けをすする時の分断ショットでは、食卓上の小物が増減や移動、さらに変身をします(1:46:46)。引きでそれぞれの品が映された後、初めの妙子(木暮実千代)のアップでは急須(1:46:48)、佐竹(佐分利信)は丼ぶりに、箸入れ、醤油皿、小皿、醤油差(1:47:17)。次に妙子の方に醤油差が突然現れます(1:47:43)。

   その後、佐竹側の醤油皿が右に動いて、それに押し出されるように醤油差が消えます(1:48:23)。白い調味料の小壜はアップではどちらにも映らず、途中の引きで右に動きます(1:46:56)。醤油皿は二人を映す時には白く、佐竹アップのときは縁に縞があるので別物です。最後の引きでは醤油皿が丼ぶりの陰に隠れ、小皿は消えてしまいます(1:48:29)。

「彼岸花」中華料理屋での、平山渉(佐分利信)と三上文子(久我美子)のショットでは小道具は動かず、分断もなく普通に撮られているので面白くありません(1:02:58)。これはテーブルの上に置かれたものが一品ずつしか無いためか、あるいは他の場面で散々やるので手を抜いたのか。しかし、それでも彼氏(渡辺文雄)が現われたのに気づいた文子が立ち上がると、彼女の後ろのテーブルの調味料が移動もしくは変身して(1:04:42)、平山が独りになってから座り直すと、前後のテーブルの小道具もやはり移動や変身をします(1:05:41)。

「動く小道具」でみていた、「秋日和」うなぎ屋での間宮宗一(佐分利信)と三輪秋子(原節子)の会話も分断ショットです(25:10)。やはり、そこでも近い物しか映りません。
 

 

目眩ましショット

「秋刀魚の味」の平山幸一(佐田啓二)と三浦(吉田輝雄)が食事する場面では、二人のアップを切り返した時にビール瓶の見える位置はいつも画面の左端なので、それがあたかも右、左、右と移動しているように思えます。これとは対照的にソース瓶は平山の近くに一つあるだけなので、切り返えす毎に見た目には左右に動きます(図3、4 1:23:00)。早送りで見るとこれらの様子がよく分り、特にソース瓶がすばしっこい。ボードウェルはここも遊戯性を指摘しますが(㉔ p.594)、やはり小津の構図主義によるものです。
分断と目眩ましショット3b  分断と目眩ましショット4b
 図3  図4











 

   実際にはビール瓶は二本あり、そのうち一本はこの場面の初めに三浦が自分の方にあるものを持って、平山と自分に注いで元の場所に置き直しています(1:22:53)。このとき瓶のラベルは左手前向き。平山の左側にもビール瓶が置かれており、ラベルも同じ方を向いています。二人の正面からのショットでは、どちらも画面に向って右側の相手の瓶はその外にあるものとされ、二本同時に映ることはありません。

   た平山が正面に映る引きのショットで彼の瓶を見ると、ラベルは左を向いて瓶の位置も食卓の端に寄っているのが分ります(1:23:57)。カメラの移動や食卓上の小道具の配置を考慮すると、これら二つのアップと一つの引きから成る三種類のショットは、同じ型のものをまとめて撮ったのだと思われます。当然、先の分断ショットやその他の会話も同様でしょう。カメラマンの厚田雄春はこのような撮り方を、中抜きと呼んで行っていたとのこと(ァ屬釜」と「蟹」のロー・ポジション―中抜きでアップを)。

   この場面では最後に斜め左に引いたショットで、平山がとんかつとキャベツをもりもり食べ始めて、コップに入っているビールの量も一番少ないので、この型のショットを最後に撮ったはずです。その前はカメラの向きが近い平山の正面からのショット、最初は向かいの三浦のショットということになります。

   同じような目眩ましショットが、恩師(東野英治郎)を招いての飲み会にもあります。ここは他の小物が煩雑に置かれてはいますが、河合(中村伸郎)の左がとっくり、右には御椀があって、つづく平山周平(笠智衆)にもとっくりと御椀が同じように置かれています(1:06:47)。そして、恩師が酔いつぶれて二人だけの会話になると、この切り返しが連続で行われます(1:08:03)。

   の「秋刀魚の味」での、ビール瓶の目眩ましショットがある場面の引きのショットでは、誰もいない隣座敷の食卓の隅にソース瓶がひっそりと置かれていました。「秋日和」母娘(原節子、司葉子)の外食の場面にも、客のいない手前のテーブルの端に調味料の瓶があります(41:52)。このように小津映画では、誰もいない食卓などの端や隅に置かれた小道具が、画面の端に映る不自然なショットは他にも無数にあります。ひとつ見つけたら、その三十倍は潜んでいるとみて良いでしょう。例えば「東京物語」の妻文子(三宅邦子)が尾道からの電報を受け取るときは、食卓の上に醤油差が見られます(1:34:05)。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)




 

 

 

◆構図至上主義(4)−動く小道具

  • 2018.02.23 Friday
  • 18:53

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

 

動く小道具 【参考文献】

 

 


動く静物画

「彼岸花」で姉の節子(有馬稲子)が嫁ぐ前日にある、最後の晩餐での食卓は作り物じみていて、まるで静物画のようです(1:30:17)。何か仕組まれていそうなので注意して見ていきます。まず初めに、手前の部屋には右側に湯のみ茶碗が置いてある別の食卓がありますが、そのすぐ後のショットでは寄りのため見えなくなります。代りに畳の上に御ひつが現れて、その他の初めから置かれていた小道具も、空きを補うように右の方に移動しています(図1 1:30:26)。

 

 

動く小道具1b
 図1








 

 

 

   それらを見ると、上に伸びた赤い薬缶の取っ手と右にあるジュースの空き瓶は、テーブル・クロスの赤い帯状の線に掛かり、間のワインの瓶はちょうど食卓の面に届いています。そして卓上の左右のジュース瓶が、薬缶とワイン・ボトルの真上よりほんの少し中央に寄って、さらに左のものはテーブル・クロスの模様とつながって薬缶の近くまで伸びることにより、これらは食卓を貫く二本の柱になります。

 

   こでは母の清子(田中絹代)と妹久子(桑野みゆき)のワインは、近くにある食器の高さとほぼ同じかさに注がれており、久子のジュースのかさも右のカップに揃っています。母のワイン・グラスは初め、奥にあって量も少なく、隣の果物を入れた大皿と同じかさになっていました。彼女のカップや右奥の白い器も左に動いています。

   デヴィッド・ボードウェルは後の母の正面からのショットにおいて(1:32:12)、左右のワインやジュースのかさが近くの皿の縁に揃っているのを、観客に気づかせたいジョークのように言っています(㉔ p.550)。しかし、これは他の場合と同じように小津の美的感覚によるものです。仕掛けを気づかせるのではなく感じて欲しいのです。そこでは飲み物のかさが皿の縁だけでなく、葡萄の皮をむく母の両手と合わせて、水平に近い緩やかな右下りの曲線となっています。

   に戻って妹久子の方を見てゆきます。食卓真横からの久子のワイン・グラスは、その中央に置かれているので彼女からは遠すぎます(図1)。しかし久子のクローズアップの時はすぐ手元にあります(1:30:48)。かりに彼女が移したのだとしても、その後また食卓の中央に移動してしまいます(1:30:54)。そして再び手元に戻してから(1:31:55)、姉が部屋を出た後にはグラスに注がれているワインの量が増えています(図2 1:32:42)。これにより、左にある缶と同じ高さになるのが分かります。

 

動く小道具2b
 図2








 

 

 

   しかし、ここにくるまで話がつながっているので、ワインをいつ入れたのか分りません。しかもワイン・ボトルが映るときは必ず詮をしてあるので、それを抜き差ししたことになります。この後、父(佐分利信)が帰宅して部屋に入るまでに久子はパンを食べながらワインを一気飲みしており(1:33:32)、彼がそこを通り抜ける時には一瞬にして注いでしまいます(1:33:39)。

 

   た初めの方に戻って今度は姉妹の行動です。久子が手を伸ばして何かをつまむようにしますが(1:30:20)、次に映るときは胡桃缶(WALNUTSのラベル)が見えます(図1)。久子がジュースの入っているグラスの向こう側、姉の方に隠れていたのを移したのでしょう。しかしそこは自分の前にあるカップの先、母清子側なので置くには難しそうです。

   このとき缶のラベルは久子の方に向いており、次に節子が「いいのよ、お母様。もう沢山よ」の台詞で自分の方へ戻します(1:31:24)。ラベルはほぼ正面。かと思うとまたたく間に久子側に移動してラベルも彼女に向きます(1:31:33)。母に自室に下がるように促されて「ええ、じゃ」の返事で再び節子が、これも瞬時に奪い返しラベルは左を向きました(1:32:27)。そのすぐ後に節子が立ち上がるときには、缶は久子の方に移動してラベルもまた彼女に向いています(1:32:31)。ここも素早く取り戻したのでしょうか。

 

子がいなくなるとラベルはさらに回転して右側を向きます(図2)。このショットに来るまでに、ジュース瓶も胡桃缶と同じように、飲みもしないのに二人で取り合っていました。そして姉のジュースを入れたグラスも久子がたびたび奪います。

その他の小道具

   のような構図を重要視した装飾的なウソは、小津映画ではいくらでも見つけることが出来ます。もっと単純で分りやすい処から。佐々木の旅館で幸子(山本富士子)の置いたビール瓶のラベルがカメラの方に向きますが(1:47:54)、反対側から映る時もそれはカメラに向いています(1:48:19)。

   ずっと前に戻って、自宅で母の清子が佐々木初(浪花千栄子)を招いた時は、食卓のほぼ中央には急須が置かれて湯呑は清子が座る処から見て急須よりも遠い位置にありますが(33:17)、次に清子が正面から映ると、この二つは彼女の左前に並びます(33:24)。ここは清子からみて、まだ湯呑が急須の前方にあるので正しい位置関係のようにも見えるのですが、遠かったはずの湯呑の影が清子の袖に掛かるので、かなり近づいたことになります。

「宗方姉妹」で姉(田中絹代)に対する義兄(山村聰)の暴力に激情した満里子(高峰秀子)が、ピッケルを投げ捨てた処は座布団の向こう側。それは襖の陰に隠れて見えなくなりますが、ショットが代って反対側から映ると座布団の上にあります。彼女が先に奥の方へ叩き落としていたT定規?も近くに転がっており、さらに座布団まで襖の奥に移動しているのが分ります(1:25:58)。

「麦秋」紀子(原節子)がケーキを買って帰った夜の茶の間では、康一(笠智衆)が奥の間から忍び込むために開けた左の襖が次のショットで右に動き、逆に右側のそれは左に動いて開きは狭まります。食卓の上はそれまであったケーキの箱などが無くなり湯呑だけになってしまいます(45:25, 46:08)。

   村アヤ(淡島千景)を招いた日の二階では、食卓上の壺に生けられた花の向きや形が七変化します。初め花は垂直ですが(53:42)、カメラが少し寄ると葉は広がり花が右に傾きます(図3 54:16)。その次は紀子のアップで分りにくいのですが、右端に見える花は彼女に傾いて葉は隠れます(図4 54:31)。二つあるはずの伏せたコップも一つしか映りません。そして紀子も少し右に動いて、画面の左外にいるはずのアヤではなく、正面のカメラの方を向いてしまいます(会話における人物の撮り方は、後に書く「◆小津の文法(1)−会話」を参照)。

 

動く小道具3b  動く小道具4b
 図3  図4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ここで一つ前の状態に戻ってから(54:37)、部屋の反対側から花は傾いたままですが、その束は詰まって別の花が加わります(54:58)。再び部屋の奥から花が中央に寄り(55:25)、最後に反対側から映ると花は右に傾き、ここにも別の花があります(55:50)。

「早春」杉山正二(池部良)と千代(岸恵子)のいるお好み焼屋では、どちらも一人だけのアップのときビール瓶のラベルが右向きで、二人が映る時は杉山の方に向いて、さらに瓶は彼の方に近づいて手元が窮屈そうです(42:12)。

   妻昌子(淡島千景)の友人富永栄(中北千枝子)のアパートでは、ビールをつぎ終った直後の栄のコップには泡がありません(1:55:29)。これは前に見た「彼岸花」久子のワインの時とは違い、ご愛嬌というところでしょう。

   かし、その後の食卓の上に置かれた小道具は大人しくしています。栄がつぎ終えた時のビール瓶のラベルはしっかり映されますが、反対側に廻ると瓶が動いていないので、それはほとんど見えずに寸胴の瓶が醜く映ります(1:55:47)。その後のショットではカメラが少し引いて、ラベルは完全に消えてしまいます(1:56:59)。ただし、そうなるためにカメラの向きだけでなく、瓶も多少回転しているようではあります。

   ここは画面中央の白っぽい寝間着姿の栄が大きく映るので、バランスを考慮したのかも知れません。それとも、この場面は食卓の奥と手前を交互に撮るだけなので、その都度ラベルの向きを変えてしまうと観客にばればれだからでしょうか。どちらにしても、小津映画でラベルの映らないアップのビール瓶は珍しい。

   っとも、大人しいといっても栄がビールをつぐ時のラベルの向きは三種あります。つまりその間に向きを二回変えてしまうのです。さらにコップもだんだん彼女に近づいてゆきます。初めに詮を抜くときは、瓶がコップの奥にあって、その必要がないためかラベルは玄関側で映りません(1:55:14)。注いでいる時はラベルが栄の方に向いてコップも少し彼女に寄り(1:55:17)、瓶を放すときにはラベルが部屋の奥側を向き、コップは食卓の端に来て、後は瓶もコップも動かなくなります。

「秋日和」葬儀後の料亭で、田口(中村伸郎)が右手前に座る廊下側からのショットの時、食卓右下のお盆の上にある飲料水二本の瓶と、レモンを入れてある硝子の器の位置が三度変りますが、ここはとても細かい演出となっています。

   初めに瓶二本は左寄り、レモンは瓶の右側にそれぞれ均等に並べてあり(09:25)、三輪秋子(原節子)と娘のアヤ子(司葉子)が帰った後は二本の瓶がお盆の中央に動き、レモンは右の瓶の正面に移動します(13:55)。女将(高橋とよ)が入って来てからは、レモンがさらに少し左に寄って瓶からはみ出て(15:49)、彼女が退いた後のレモンは瓶の中央に戻ります(17:01)。これらは構図には影響ない(誰も気にしない)と思われますが、「『東京物語』の名場面」にあったような単調さを補うものとも思えません。まるで間違い探しのパズルです。

   なぎ屋での間宮宗一(佐分利信)と秋子の食事で、ビール瓶が映るショットは三種類あるのですが、その映る方向に係わらず、ラベルがすべてカメラを追うように左前を向いています(25:01, 25:16, 26:38)。これは間宮が手に持った瓶のラベルの位置が変ることでも確認できます。

   初めの引いたショットでは、ラベルの赤い星の中心よりも奥まで深く握っていますが(図5 25:07)、カメラが寄って瓶を置くときの彼の指先は星の真ん中にあるので(図6 25:13)その分、正面の方に瓶が回転していることが分ります。さらに、ここではビール瓶の入れ物や山椒などの四つの小物が、互いに近づいて隣のものと重なります。間宮が瓶を置く位置は彼に近づくので、もし向きが変っていなければラベルは深く握られているはずですが、逆に浅くなるので、それだけラベルも正面の方に余計に回っていることになります。

 

  
動く小道具5b  動く小道具6b
 図5  図6

 







 

 

 

     次の間宮のショットでは、ビール瓶だけが左端に寄って山椒との間に隙ができています(25:25)。間宮側だけでなく、秋子の初めのアップでも彼女のビールを注いだコップが右に移動します(25:22)。

 

「小早川家の秋」では、ビールをついだ北川(加東大介)のコップは泡がいっぱいですが(50:06)、他に切り返した後、再び映るとその泡が消えてしまうご愛嬌(50:11)。しかしこの場面の最後に反対側から映ると、やはりそこでもビール瓶のラベルはカメラの方に向きます(52:22)。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)




 

 

 

◆構図至上主義(3)−瓶のラベル

  • 2018.02.21 Wednesday
  • 19:14

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

瓶のラベル 【参考文献】



   津はビールなどの酒類の瓶のラベルを、製造元からの報酬を期待して何時もカメラの方に向けていたといわれます。サイレント初期の「大学は出たけれど」でのバーのテーブルに置かれた二本のビール瓶により、すでにその傾向がみられます(07:34)。しかしこの言い分は、なかば冗談かごまかしでしょう。小津は食卓などに置かれる焼き物の模様の向きなどは丁寧に決めていたと指摘されていますが(㉘第一集 シネマ紀行「秋刀魚の味」 川又昂談)、そうでありながらビール瓶のラベルには無頓着ということは考えられません。一つ前の作品「和製喧嘩友達」での花を生けたサイダー瓶も、ラベルがテーブルを囲む三人を避けるようにカメラの方に向いています(06:00)。ただしここは未熟さを残して、左手前の瓶の影がサイダー瓶のラベルを汚してはいますが。

実際の呑み屋などでは、ビールのラベルを客の方に向けて出すので、写実的にこれを正面から撮るとラベルは映されず、赤黒い瓶が画面の中に浮かぶ穴のように見えてバランスが崩れるか、もしくは汚くなります。普通の映画ではみんなこうなっています。反対に宣伝のために見せるのなら、ラベルの向きは正面でいいはずですが、小津は単純にそのように向けるのではなく均衡を図っています。先ほどの「大学は出たけれど」での二本のビール瓶のラベルは正面よりやや左向きですが、右の瓶は若干、正面寄りなので二つのラベルは開いて広がりを感じます。

   のような細工は「秋刀魚の味」同窓会での、食卓の手前に置かれた七本のビール瓶が好例でしょう(図1 20:30)。二組の瓶のラベルは「大学は出たけれど」のものと同じように開いており、ほぼ交互に左、右、左と向きを変えています。しかし一番奥の二本のラベルは見えず、これらは前の二本の立体的な影になります。そして三本と四本にまとまった瓶は前後しており、ラベルの向きと合わせて、その広がりと奥行きを感じることが出来ます。
瓶のラベル1b
 図1











 

例外を挙げると、「戸田家の兄妹」には料理屋で次女綾子(坪内美子)を待っていた夫雨宮(近衛敏明)のいる一室には、小さいがラベルの映らないビール瓶が一本(1:21:36)。「風の中の牝鷄」では作品の内容を反映しているのか、あるいは戦後間もないためなのか、作中ほとんどラベルが映りません。とくに織江(水上令子)の部屋には、それが全て見えない十本のビール瓶があります(07:00)。この作品でラベルの映るものとしては桜井宅で「酒」の字がある瓶(22:01)と、修一(佐野周二)の職場で同僚佐竹(笠智衆)が奢る、それがしっかり映る焼酎の瓶(1:12:45)。後者の方は、安酒であることを示したのでしょうか。

「浮草」では清(川口浩)と加代(若尾文子)の情事後の朝、宿泊先の宿屋の廊下に瓶が置かれています(図2 1:38:22, 1:40:40)。これは水色で縁が垂直なのでサイダーのようですが、他のショットはすべてラムネです。何故ここだけサイダー瓶に変えたのか。そのラベルは端だけしか見えませんが、どうやらキリンのようです。あるレトロ商品を載せた本にはキリン・レモンの初期の瓶があったのですが、やはり水色でラベルもビールと同じ麒麟の絵だったので二つは同じものと思われます。「浮草」ではビール瓶が一度も出て来ないので、製造元への配慮として、このラベルを映しておいたのでしょうか。

 

瓶のラベル2b
 図2











なお製造元サイトの情報によると、昭和二十七年以後のラベルは同じ麒麟でも、シルエットあるいは切り絵のようなデザインで、昭和三十三年には全体が黄色のペンキ塗りのようなものに変わったとあります。しかし、それでは変化が著しく、書籍に載っていたものも、やはりビールと同じデザインで、映画と同じような赤色の帯が瓶の首にまかれていたはずです。その間に同じデザインのものが販売されていたのではないか。ビールの方は昭和三十二年に青一色から同様のラベルに換ったとのこと。「浮草」の製作は昭和三十四年なので、数年前まで出回っていたものを映画で使用したと思われます。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)




 

 

 

◆構図至上主義(2)−「東京物語」の名場面

  • 2018.02.18 Sunday
  • 12:32

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

 

「東京物語」の名場面 【参考文献】


 
三角形の構図

「東京物語」で母の亡骸を囲む平山家の人々は皆、画面右を向く綺麗な構図となっています(図1 1:48:16)。それは相似形に並んでいると表現されることもありますが、ここでは全ての人が同じ相似形ではなく、二人一組とする二つの型の一人ずつが交互に並びます。そして電灯を頂点とした三角形となるように、囲む四人は前傾姿勢をとっています。こちらの方が構図としての効果が高いといえるでしょう。この場面では他のショットも含めて、個々の人物が他と重ならないように配置されていることが大きな特徴であり、全体が三角形になるピースの役割を果します。

 

「東京物語」の東京物名場面1b
 図1









 

 

   また亡骸を囲むショットでは、数人の動きがあっても基本的なパターンに変化が無いともいわれますが、むしろ変化が目立たないように考慮されているとみるべきでしょう。それは、時には芝居の自然さを犠牲にしてまで行われます。この場面が終って葬式が始まるまでの間、延べ四人が部屋を出入りしながらも、彼らは構図を崩さないように振る舞っているのです。亡骸を囲む人物は合わせて五人いますが、これも構図のために、同時に映るのは三人か四人に限られます。

 

   めのショットは左から見ていくと、長男幸一(山村聰)が一番手前に、紀子(原節子)は奥、長女志げ(杉村春子)は母の手前、京子(香川京子)が一番奥へと、亡骸に近づきながらジグザグに前後していきます。全体は母に向かう配置ですが、幸一だけが離れて母と平行に座ることにより、役柄にも合った安定感を生み出しています。


   電灯を頂点とする三角形の構図は、小津映画ではお馴染みですが、ここでは前傾になることによって、それを強調しているのが分ります。しかしその傾斜は一様ではなく、左端の幸一から順に緩くなっていき、最後の京子はほぼ垂直となります。したがって相似形というのも適切ではありません。小津の作品ではよく相似形を指摘されますが、かりに正しい相似であっても、それらが納まっている全体の構図を見ることの方が重要でしょう。


   この場面では、全員が映るときは頂点が右寄りでも、その他は左寄りで、会話する人物の頭部がほとんど同じ位置になるので、視点を変えずに見ることが出来ます。このような左寄りで頭部の重なる会話は、小津のサイレント初期からの傾向です(後に書く「◆小津の文法(1)−会話」参照)。


   子が敬三(大坂志郎)を迎えに立つことにより構図は乱れますが、それが目立たないように、彼女は前傾を保ちながら部屋を出て行きます(1:49:47)。玄関では鞄を横に置いて、腰を下ろしながら靴を脱ぐ敬三の後ろ姿を見せている時と、京子が現れて、彼が振り向きざま立ち上がったときも三角形となります(1:49:54)。カメラの向きが裏庭からになると、二人に庭先の葉鶏頭が加わり三角を保ちます(1:50:08)。ここで敬三は真っすぐ奥へ進むので構図は乱れません。


   次のショットで部屋を映す向きは縁側からとなり、左手から部屋に入って来た敬三は右向きの立ち姿、彼との間に志げと幸一を挟んで紀子が右手前におり、この三人は敬三に向きます(1:50:25)。ここは頂点の電灯を左寄りに二つとして、三角形の隙を埋めています。敬三が座って低くなったので、鴨居から掛けられた衣類をつなげることにより、その崩れを補います。これに加えて、彼のお辞儀に合わせるように紀子はさらに頭を下げます(1:50:37)。


   げが母の亡くなった時刻を敬三に教えるときは、彼女と紀子、それに裏庭の葉鶏頭で三角を作ります(1:50:47)。敬三のアップで、彼は次のショットに合わせて体の傾斜とは反対の左側に、首を無理に傾けて三角に近い姿勢をとります(図2 1:50:52)。そして例外として、彼の頭を右寄りにすることにより、頂点も次のショットに映る電灯と重なります(後にある、ほぼ同じ型の図3を参照)。それは、ここでの志げとの会話よりも後に続く流れを優先しているからです。小津映画で唯一母親の死を扱った作品であるため、その禁を破ったこのショットのつなぎ方も他の作品にはないものだろうと思われます。

 

「東京物語」の東京物名場面2b
 図2








 

 

 

その、次にくるショットでは、京子の抜けを補うために敬三は右端にいます(1:50:59)。彼が母の顔を拝みに近寄ると、形の乱れを整えるために、さらに不自然に上体を屈めて右に傾きます(1:51:20)。ここは佐藤忠男の指摘する処でもあります。


   に促されるように、紀子は外に出ている周吉(笠智衆)に、敬三の到着を知らせるために立ち上がると、縁側へ降りながら左、右と彼の居場所を確認して、右手の方に去って行きます(図3 1:51:51)。注意して見ると、この間に彼女は前向きであっても後ろを向いても構図を乱さない右への前傾を保ち続けて、なるべく他の人物と重ならないように努力しているのが分ります。つまり背筋を伸ばして腰を曲げた、くの字の姿勢をとるのです。この動きのある姿勢は、セザンヌの数ある大水浴を連想してしまいます。特にフィラデルフィア美術館蔵のそれで、紀子はさしずめ左から五番目の顔が描かれていない裸婦のようです(図4 一八九八〜一九〇五年)。

 

「東京物語」の東京物名場面3b 「東京物語」の名場面 4
 図3  図4 セザンヌ「大水浴」










 

   前傾で部屋を出て行くのは京子の時にもありましたが、彼女は正面近くを向いて座っていたので、見た目の傾斜はほとんどなく、立ち上がってもそれを保つだけなので自然でした。紀子の方は深く身を屈めたまま、左の遠い処からの移動なので不自然さが目立ちます。このすぐ後に右手から京子が現れて、新しく空いた場所に座ることにより三角形を作り直します(1:52:19)。今まで彼女がいた処は前を敬三が埋めているので、そこに戻る必要はありません。


   は総ての小津映画の中で最も有名な場面。ここでは今までのショットにあった三角ではなく、独自の構図が現われます。それによって屋外であることと合わせて、この場面を際立たせているのが分ります。両端に鳥居と鐘楼、間には石灯籠が二つあり、周吉がその右寄りに立って朝日の昇る海を見ています。そこへ既に腰を伸ばした状態の紀子が、彼と左の石灯籠との隙間を埋めるように近づきながら、上辺が曲線となる凹の構図を完成させてゆきます(1:52:24)。


   そして紀子は周吉の前に出て、彼に敬三が来たことを伝えます(1:52:33)。ここは右奥の石灯籠と周吉、紀子が均等に並ぶ三本の垂直線になり、右寄りではあっても上辺が傾斜する綺麗な四角形を作っています。さらに紀子はわずかに左に退きながら、周吉と同じ向きになって海を眺めます(図5 1:52:48)。彼女が均衡を崩すことにより、左右の釣り合いの取れた形が現れて、ここでの構図は完成します。次のショットで家に戻る周吉と紀子はカメラに近づきながらも、横に並んで上辺が曲線である凹を保ち続けます(1:52:53)。

 

 

「東京物語」の東京物名場面5b
 図5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇妙な振る舞い

   人が戻る間の平山家では、初めに京子が座っていた部屋の右奥に敬三が移動していますが、これは彼の俯く顔と母の姿をもう一度映すために、その位置を変えたのだと思われます(1:53:03)。敬三は物語の後半から現れ、先ほどの流れを会話に優先したのと同じように、ここでは葬式での退出につながる、その存在感を出すためのショットでもあります。しかし芝居としての理由はなく、まもなく戻る周吉と紀子は近道をして、後ろの縁側か廊下から入って来るはずなので、敬三は一番邪魔な処にいることになります。

 

   さらに疑問な点は、敬三を出迎えた後の京子の戻り際。彼女はそれまで何をしていたのでしょうか。見ための時間も敬三が玄関から上って奥に進み始めてから、彼女が廊下から現れるまでには約二分の間があるのです(1:50:16〜1:52:08)。脚本には「147 茶の間――座敷 敬三、京子と一緒に『こんにちは』と這入ってくる」と書かれています。その後、葬式の場面に移るまで京子についての記述はなく、敬三が位置を変えた最後のショットそのものが脚本にはありません。これらにより彼と京子の奇妙な振る舞いは、撮影時に主に構図を優先して決められたことが分ります。


   三がやって来るまで、志げの前を彼の座る場所として空けていますが、彼女の顔は電灯よりも前にあります(図1)。彼が座った後は志げが少し退いており、彼女の顔は電灯の真下に来ています(図3 1:50:59)。それは初めから、ここにいたのでは志げの前が空き過ぎるからです。本来ならこの後、敬三が母の枕元に近寄る時に志げが動くべきですが、それでは見た目が良くないので、彼が現われるまでに予め分からないように下っていたのでしょう。事実、部屋に入る彼を縁側から映すショットでは、すでに志げの顔は電灯の真下にあります。


   しかしよく見ると、彼女の後ろにいる紀子は敬三が現れた後は少し左に動いており、それに合わせて障子や硝子戸の位置までも変っています。そして左端の幸一は動いていないので、彼と紀子、志げ三人の間が均等に詰まっています。ここも構図のために、紀子を志げと幸一の真ん中に移動させていたのです。さらに敬三が座った後は襖が右に開かれ、その手前の蚊取り線香は左に動いています。これも彼の居場所を広げるためのものです。


   三が母の枕元に近寄った後、部屋を出た紀子と京子が入れ換ると、京子は少し右寄りに座り、彼女と志げの間が詰まります。これは敬三が前進することにより、彼と志げに隙間ができたために、乱れてしまった構図を作り直しているのです。しかし構図の問題がないとしても、小津には同じような複数のショットを撮る場合、このように形を変えて単調になることを防ぐことも多くみられます。


   例えば、この場面で敬三が母の枕元に座るショットは三つありますが(枕元に近づく 1:51:20, 紀子と京子が入れ換る図3 1:51:43, 部屋の奥に移動する 1:53:03)、はっきり示される人物の移動以外にも、カメラの高さや向き、被写体への距離が変っています。画面下のお膳や鞄の位置は二番目のショットで高くなり、右側にある襖の幅や、鞄の映り方は三ショットで全て異ります。襖や鞄も動いているでしょう。最後のショットは敬三が奥に移動したことにより蚊取り線香が邪魔になったので、いつの間にか幸一の前に用意されていた灰皿の横に置かれており、さらに京子も少し左に動いて、紀子が座っていたのと同じ処にいて構図を整えているのが分ります。


   の晩に医者のいる間は、部屋には彼を含め五人もいて窮屈なために、ここは三角ではなく五角形、野球のホーム・ベースのような形になっています(図6 1:42:52)。それでも京子は台所で氷を掻いており医者が帰るまで部屋に入らないので、これ以上の乱れを防いでいます。医者と幸一の二人だけが映る時はその間が詰まり、それに合わせて背後の開かれている障子も狭まります(図7 1:43:12)。このとき左に志げのあおぐ団扇が見えるのですが、彼女と右隣りの周吉は映らないので、二人は母の布団から離れて志げは左手前、周吉は右手前に後退していることになります。

 

「東京物語」の東京物名場面6b  「東京物語」の東京物名場面7b
 図6  図7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   このような寄りと引きで中心に映る二人の距離が変るのは、すでに二年前の「麦秋」夕飯の場面で、子供二人によって行われていました(1:57:42)。そこでは前と後ろから二ショットある引きの時に、体は重なっても家族七人すべての頭部が見えるように、彼らの位置をわずかにずらしています。子供二人の寄りでは左右の人物(三宅邦子、菅井一郎)は膝の辺りだけ映り、その手の動きが急に止まってしまいます。

 
深夜の移動

「東京物語」に話を戻します。医者が帰った後、この場面の終りに四人が座る位置は奥の左から京子、幸一、手前は紀子、周吉となります(1:47:23)。志げは幸一に連れられて、周吉と三人で次の間に出た後、まだ部屋には戻りません。彼女が退出している間に、医者を送りに出てから先に戻っていた紀子に場所を取られているので、二人はこの後、元のように入れ換ったでしょうか。翌朝になると周吉が抜けて、奥の左から紀子、京子。そして手前に向って志げ、幸一が座っています(図1)。つまり全員が居場所を変えていたのです。ただし、志げと紀子が晩に入れ換っていたなら、志げだけは動いていませんが。


   それでは、彼らはどのように移動したのでしょうか。一例を挙げてみると、先ず志げと紀子が元の場所に戻っていたとして´◆幸一が母の最期を看取った後、前の晩にはまだ湯呑がお膳の上にないので、それを用意するために京子が立って、続いて幸一が湯呑のある処に移り、次に京子が母の枕元を整理するためにそこに移動ぁ△修靴撞子は京子を手伝った後、彼女のいた処にァ⊆吉は明け方に部屋を出ていたΔ箸覆蠅泙后2燭譴砲靴討癲⊆尊櫃砲修瞭阿を映したものは、かなり醜くなりそうです。

 

 

晩:     翌朝:
 京子     幸一       紀子  京子
母とみ  とみの亡骸 
 紀子     周吉       志げ (周吉Α
 志げ       (紀子◆
    幸一

 


   は何故、このような配置に変えたのでしょうか。それを見極めるために、翌朝になってから場面の最後までの推移を追ってみます(青=入場、赤=退場、緑=移動)。翌朝からは、奥にいる京子´イ筏子だけが出入りして、手前の幸一と志げの二人は動きません。そして志げの前は敬三の座る場所として空けてあります。これにより夜中の移動は、彼が現れてから場所を変えるΔ泙任亮蟒腓里燭瓩僕儖佞気譴討い燭海箸分ります。これらは全て構図の乱れを抑えるためなのです。

 

 

翌朝から場面の最後まで:
 
(1:48:16)    (1:49:53)    (1:51:20)
  紀子  京子     紀子     紀子 
とみの亡骸       
  志げ     志げ     志げ  敬三 
  幸一     幸一     幸一 
       
(1:52:07)    (1:52:18)    (1:53:03)
     京子     京子  敬三 
        
  志げ  敬三     志げ  敬三     志げ 
  幸一     幸一     幸一 

 


   の他の配慮として、人物が部屋を出入りするときは、画面の手前で移動させないことが挙げられます。敬三が部屋に入る時は、反対側から撮って彼を遠くにしています。前の晩、医者は始めから奥にいるので立ち上がるとそのまま退出し、紀子はほぼ真っすぐ奥に向ってから彼の後について行き、ここでも二人は前傾姿勢をとります(1:43:50)。これは紀子が医者に謙るような、場面に適した演技でもありますが、翌朝の京子、紀子と同じように後にいる紀子の方が傾斜が深く、その角度も全体の構図に合わせているのです。つづいて氷を掻いていた京子の入室は、大胆にカメラの前を横切って部屋の奥へ移動しますが、ここは医者の退出からの同一ショットにすることにより、逆に変化を抑えています。

 

   幸一と周吉、志げの三人の退出では、カメラの向きを反対にして幸一だけが手前から移動し、奥にいる二人は立ち上がると、彼の後について直ぐに部屋から出て行きます(1:44:40)。彼らが戻る時は一人ずつにして、それも三人ではくどいので志げの移動は撮りません(1:46:29)。そして幸一や周吉が別室から出た後は、少し間を置いてから母の眠る部屋を映しています。小津映画にある部屋の出入りは、人物が現れるのを待ち構えて撮るのが一般的ですが、ここは部屋に入る動きを省くことにより、構図の乱れを防いでいるのです。幸一は背中を見せた状態から奥に廻り、周吉もそこから数歩前進して座り込むだけです(1:47:15)。

 

   様の型でも、これとは違う性質のものが他の作品にあります。「早春」で杉山(池部良)は出勤のため、千代(岸恵子)を旅館の部屋に残して立ち去ります(47:46)。「彼岸花」の平山渉(佐分利信)は仕事を再開するためにトイレに行くと偽って、佐々木初(浪花千栄子)が後を追うのを思い止まらせながら部屋を出て行きます(21:51)。前者は独りになった千代がしばらく映り、ショットが変ると杉山は既に廊下を歩いています。後者は平山を見送る佐々木が独りになったすぐ後にショットが代るので、まだ平山がドアのノブに手を掛けてはいますが、出て来るところは映していません。この二つは構図の問題ではなく、部屋に残された者と立ち去る者とを対比するための、置いてきぼりの表現といえます。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)