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    ◆小津の文法(3)−サスペンス

    • 2018.03.07 Wednesday
    • 05:09

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    サスペンス 【参考文献】



       津の編集助手であった浦岡敬一によると、「右から左に動くものはサスペンスを表す」と監督から教わったとのこと(㉘第三集 インタビュー集)。彼は小津映画によく出てくる振り子時計を例にして、このことを説明しています。調べてみると確かに時計の振り子が右から振れると事件が起きて、収まると左から振れるようになります。それは前者だけの場合もあり、途中で振り子が何度か映される時は適当に左右に変りますが、最後は左からとなります。


    サイレント「東京の女」の春江(田中絹代)が、恋人良一(江川宇礼雄)の自殺の知らせを電話で受ける場面では、地震の揺れによって時計屋の止めてある時計の振り子が一斉に動き出します(㉗第四集 29+5+13+6+1=54)。振り子の周期に違いがあるので全てが同じ動きにはなりませんが、目立つ処にある上の四つを含めて大よそ右から振れています(38:19)。次に店の時計が映るショットでも同じように右から振れて、さらに時計屋の前後のショットでは、姉ちか子(岡田嘉子)のいる家に掛けられている時計も右から振れます(38:13, 39:12)。


       の作品のように多くの小道具と、四つものショットを使ってサスペンスを示すものは他に例がありません。小津映画唯一の自殺(「東京暮色」での妹の死因を事故とみなせば)を強調していますが、ストーリーと直接関係のない地震を絡めてもいて、過剰な演出といえます(地震は揺れを利用しただけで、それによる被害などは扱っていない)。


    「長屋紳士録」では親にはぐれた子供がかあやん(飯田蝶子)の家を飛び出した後、そこの時計が左から振れているので例外です(47:19)。この後、彼女が子供を探しに出るので型としては後述の「お早よう」に近いのですが、時計が映るのはこの一回だけなので、可哀そうなあの子は、また戻って来ると先に予告しているのでしょう。


       下にトーキーに限ってですが、その他の時計によるサスペンスを表している例を七つ挙げます。「風の中の牝鷄」は物語の発端で左から振れて、早々にサスペンスを閉じてしまいます。また「東京暮色」でも後に左から振れてしまうので、結末に相応しくありません。まるで明子を厄介払いしたとでも言っているようです。作者の慣れないテーマに対する迷いのようなものが感じられて、これらの作品の評価が低い一因がここにもあるようです。

     

     

       
    1. 「戸田家の兄妹」主が倒れた後の時計の振り子が右から振れている(14:57)
    2. 「風の中の牝鷄」浩が入院した病院の時計が右から振れて(13:30)、朝になると彼は回復して左から振れる(17:06)
    3. 「晩春」紀子(原節子)が父(笠智衆)と喧嘩をして友人アヤ(月丘夢路)宅へ行くと、そこの時計が右から振れる(1:00:16)
    4. 「東京暮色」明子(有馬稲子)が入院した病院の時計が、初めは右から振れる(1:59:29)
    5. 「お早よう」二人の子供が家を飛び出した晩の時計が右から振れる(1:22:42)。そしてそのすぐ後だが、子供たちが無事に帰宅する前には左から振れる(1:23:01)
    6. 「浮草」清(川口浩)と加代(若尾文子)が外泊した夜の清の自宅にある時計が右から振れる(1:38:02)。リメイク前の「浮草物語」も同じ(1:01:14)
    7. 「小早川家の秋」万兵衛(中村鴈治郎)が倒れた直後の平山医院の時計も右から(58:11)
       



       のように、小津が振り子時計をたびたび使用したのは、そこに過ぎ去った時間と現在とが端的に表されて、サスペンス性を盛り込むための格好の道具になったからでしょう。しかし、これから起る事態を予測して、その時刻を待ち受けるような逆の展開では振り子時計は映されません。小津映画に、たとえば犯行予告のようなサスペンス性のあるものが、そのような場面には無いからです。以下にそれらを。

     

     

       
    1. 「東京物語」尾道を去る紀子(原節子)が乗る汽車の通過を、教室で待ち受ける京子(香川京子)は自分の腕時計を二回見る(2:12:18)
    2. 「東京暮色」母喜久子(山田五十鈴)が東京を立つ場面では、上の娘孝子(原節子)が見送りに来るのを待っているが、ここではホームの時計が映り(2:08:51)、孝子のいる自宅の時計は映らない
    3. 「秋日和」アヤ子(司葉子)と百合子(岡田茉莉子)は職場で自分の腕時計を見て、友人の新婚夫婦を乗せた電車が通過する時刻を確認する(50:50)
       

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆小津の文法(2)−ロー・ポジションの起源

    • 2018.03.04 Sunday
    • 08:02

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    ロー・ポジションの起源 【参考文献】



       津映画での数ある特徴の中でも、ロー・ポジションは初期のサイレントから全編にわたって現れる際立ったものですが、これを始めた経緯について小津自身は以下のように語っています。

     


    「一体キャメラを低めにしたのは日本のセットではどうも床に金をかけないので、床を出さない工夫にキャメラを上に向け出したので、その初めは喜劇の『肉體美』の時でした。それから低目にして後に感じたのは、こうすると室内ではどうしても天井が出ましょう。おかげではっきり立体感が出る。こんな事も私にこの好みに一層こだわらせる一つの原因になっていましょう」(…戚曚魎てる監督 '36年)

    「(ロー・ポジションは)まだ喜劇ばかり撮っていたころ『肉体美』のセットで始めた。バーの中だが今より少いライトで仕事していたので、カット毎にあっちこっちからライトを運ぶので、二、三カットやるうちに床の上は電気のコードだらけになってしまう。一々片づけて次のカットに移るのでは時間もかかるし、やっ介なので、床の写らないように、カメラを上向けにした。出来上った構図も悪くないし、時間も省けるので、これから癖になり、キャメラの位置も段々低くなった」(⊂津安二郎芸談 '52年)

     


    どちらも「肉体美」が始まりということですが、前者は日本のセットは床に金をかけない、後者はバーのセットで少ないライトのため電気のコードだらけになると、その理由は食い違うように思えます。フィルムが損失しているため、それを観ることはできませんが、脚本によると確かにバーの場面がありショット数は十七。


       文の方は小津がロー・ポジションを選んだ理由としてよく指摘されるように、彼が日本間での畳の縁にある線を嫌ったという意味にもとれます(小津作品のスタイル―テンポについて)。しかし「肉体美」で日本間の可能性があるのは「19 高井の家 別室」「高井、服を着て粧し込んで居る」だけのようです。おそらく小津がここで言っているのは日本間ではなく、海外のように金を掛けることのない日本で使われる安いセット、ということだと思われます。これらにより二つの文は同じ内容を表しているとみて良いでしょう。


    翌年の「若き日」では未だカメラの位置はそれほど低くはなく、渡辺敏(詰城一郎)が千恵子(松井潤子)に下宿を明け渡し、翌日そこに彼が現われるという二場面には、畳の線がまともに映されるショットがあります(11:38, 23:56)。前者はそれが斜めに張りめぐらされて、後者ではカメラを畳の面に向けて撮っています。


       のようにロー・ポジションの元をたどってみれば、日本間の撮り方にあまりこだわりの無かった頃のことです。小津自身、立体感が出るというその効果は後に感じて、さらにカメラの位置は段々下げていったというのだから、初めはせいぜい電気のコードが隠れるくらいにしていたのでしょう。つまりバーのセットで必要に迫られて始めたことを、後の作品での日本間にも応用していったということになります。


    現存するサイレント最後の作品「東京の宿」には、おたか(岡田嘉子)が呑み屋の小座敷で喜八(坂本武)の酌に上がる場面で、まだ無防備に畳の線が現れており、しかも大写しまであります(55:04)。翌年のトーキー第一作の「一人息子」はたびたび日本間が映されていますが、ここでは線どころか畳そのものが殆ど見えません。


       らにロー・ポジションに関連して、部屋の奥を正面から撮って水平線を作ることにより、安定感を出しているのもこの作品からのようです。「東京の宿」までは水平に出来そうな処であっても、その大部分は僅かにでもカメラを斜めに向けています。これは未だ水平であることを安定したものと捉えるのではなく、単調なものと見なしていたからだと思われます。そして斜めに撮ることにより、一つひとつのショットで人物を中心とした、いわゆる絵になる構図を作り上げています。


    トーキーであることと、日本間の撮り方とに直接の関係はないのですが、小津は「一人息子」の撮影時に「俳優の努力はいずれにしても殖える勘定です」の後、モノローグの使用を(下等なものとみなし)否定してから、この作品を製作するに当っては「その他いろいろ意見もあります」と言っています(…戚曚魎てる監督)。その意見の中には台詞に関する演出(後に書く「◆普遍性(3)−面白い台詞」参照)以外にも、日本間の演出に対するものもあったのでしょう。


    つづく「淑女は何を忘れたか」有閑マダムの集う小宮家と(07:23)、「戸田家の兄妹」亡父一周忌の法事後の料亭では(1:35:45)、畳が画面に広く映されてはいますが、お盆や急須などを置くことによってその線をなるべく隠しています。とくに前者では線が目立たないように、それに接するように座っていた妻の時子(栗島すみ子)が、まるで自分と湯呑を置き換えるように、線の真上にそれを置いてから立ち上がっています。


       画の文法を唱えた栗原トーマスは '21年のエッセイで、カメラの高さについては次のように主張します。

     


    「座っている事が映画の撮影に向いていないと言うのは間違った考えである。私はむしろ日本女性の座った腰から膝の辺りの曲線は、カメラをそれと同じ高さくらいから撮影するようにしたら、まことに面白いものだと思っている。それを大体上方から取り入れるので日本の座敷がフィルムの場面としてこわれてしまう事がしばしばあるのだ」(まずは、畳の上での坐り方について)

     


    「肉体美」は '28年の作品ですが、ロー・ポジションを始めるきっかけとして、それより七年前のこの栗原トーマスの言葉に依るところもあったのでしょう。ここで佐藤忠男は「当時十八歳だった映画青年が達成した」と小津の日本間の撮り方について推測しているだけですが、小津は初めバーのセットで電気のコードを隠すために、栗原の意見をヒントにカメラを低くして、後の日本間等では栗原の主張する効果を確認しながら利用していったのだと思われます。つまり小津は栗原の会話における文法は否定しても、彼から学ぶべきところは学んでいたということになります。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆小津の文法(1)−会話

    • 2018.03.02 Friday
    • 05:07

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    会話 【参考文献】



    二つの文法違反

       津は人物の感情を強調するためのクローズアップや、時間の経過を表すF・I、F・Oなど、一般に認められている映画の文法は必須のものではないと主張します。特に会話における人物の撮り方をよく取り上げて自説の正当性を強調しており、例えば「秋日和」完成後の座談会では次のように述べています。


    「僕なんかやっているものは、ほんとうの映画的というものじゃない。映画でなくちゃこれは描けない、映画以外にはこういうものは表現できないんだというものは僕にはやはりできませんね。いろんなものの中で 右顧左眄 うこさべん しているようなものが僕のこしらえている映画だ」……

    「映画には文法があるというようなことを言いますが、実際はないのですよ。昔、栗原トーマスという監督が米国から帰って来て、AとBとの話し合いをアップで撮るときに、AとBを結ぶ線を引いて、カメラがこの線をまたいではいけない。必ず一方の側からAを撮りBを撮らなければ会話にならないということを言った。それが当時の金科玉条として、映画文法の最も重要なものだった。しかし僕はそういう撮り方をしていない。その線をまたいで、ちょうど対称的なところから撮る。だからAが左を向いていればBも左を向いている。その方が視線が合うし、指向性が崩れないからいいと思う。そんな撮り方をしているのはおそらく世界中で僕だけですよ。僕はこれで押し通してきた。同業者から見るとおかしいと言うけれども、すぐ慣れるんですね。やはり人間の理解力の方が数等上だから、それでいいと思うんですがね」(映画と文学と絵画 '60年)


       のような独自の方法に至った原因として、小津は日本間での会話を、栗原トーマスによる従来の映画の文法通りに表した場合の困難や限界を挙げています。


    「日本間に人物の坐る位置というものは殆どきまっている上に、広くともそれが十畳位のものであってみればその中でカメラの動く範囲はまことに窮屈であり、然もこの文法に従がうとなれば或一人の人物の背景は床の間だけであり、もう一人の人物の背景はまた襖とか、或は縁側とかにきまってしまう。それでは私の狙っているその場面の雰囲気がどうにも表現出来ない。そうしたことから試みたのっぴきならない違法であったが、やってみるとそれが文法ではなかったということを知ったのである」(映画の文法 '47年)


    また先に挙げた座談会の前年、芸術院賞を受賞した折りには次のようにも述べています。


    「私は、こんなことをやり出して、もう三十年になる……ロング・ショットで、ABの位置関係だけ、はっきりさせておけば、あとはどういう角度から撮ってもかまわない。客席の上での視線の交差など、そんなに重要なことではないようだ。どうも、そういう猜庫´疣世呂海犬弔噂い気がするし、それにとらわれていては窮屈すぎる。もっと、のびのびと映画は演出すべきものではないだろうか」(映画に猜庫´瓩呂覆ぁ'59年)


       れらの発言には多少の混乱があるのですが、整理してみると小津は二つの文法違反を犯していたようです。一つは初めの方にある「Aが左を向いていればBも左を向いている。その方が視線が合うし、指向性が崩れない」、もう一つは「ABの位置関係だけ、はっきりさせておけば、あとはどういう角度から撮ってもかまわない」。

    前文の方法を拡張したものが後文であるとも受け取れますが、実際には初めから前文のように撮られていたのではありません。彼自身が「いろんなものの中で右顧左眄している」と言っているように、おそらく試行錯誤のうちに前文の型ができ、その後に前文をも超えた小津調が確立されていったのでしょう。そしてそれらを実現していくための方針が、後文の中にある「どういう角度から撮ってもかまわない」だったのです。


    切り返しと指向性

       上の経緯をこれから詳しく見ていきます。小津は'59年「映画に猜庫´瓩呂覆ぁ廚涼罎如∧庫^稟燭鮖綾叔前から始めたと言っているので、それは'29年頃のことになります。フィルムが現存する中でこの年に製作されたものには、「若き日」「和製喧嘩友達」「大学は出たけれど」「突貫小僧」の四本があります。

    それらの最初の作品「若き日」を見ると、未だ全体は文法に従った退屈な切り返しですが、下宿で二人の学生渡辺(詰城一郎)と山本(斎藤達雄)が会話する場面には、多少離れた位置での百八十度もしくは、ぎりぎり人物を結ぶ線を越えての切り返しショットがあり(25:50)、スキー場でも彼らによる同じような会話が見られます(52:14)。ただし後の二人はかなり離れており、一人が振り向きざまではありますが。何れにしても、どちらの場面も切り返した時に後年のもののように背景が大きく変り、人物の位置や大きさ、顔の向きの統一が図られています。

       れらの二つの会話が撮られたのは、二人の役者が離れているために、カメラや彼らの位置をショット毎に変える必要がなく、自然に行なうことが出来たからだと思われます。したがって小津はここから徐々に距離を縮めながら、独自の切り返しショットを作り上げていったことになります。

    以後は会話する人物の距離を、遠距離(間にカメラが入って切り返すことが出来る)、中間距離(テーブルなどを挟んだ時のように普通に会話する)、近距離(肩を寄せ合うほどに近づく)の三つに別けて見ていきます。また便宜上、カメラの百八十度の切り返しを単に切り返し、人物を結ぶ線を越えての切り返しを視線越えとします。

       年の「朗らかに歩め」には、謙二(高田稔)のアパートにある彼と仙公(吉谷久雄)の会話で、だいぶ近づいた中間距離での、相手の後ろ姿が映る視線越えがあります(42:50)。同じ中間距離のものとして、「落第はしたけれど」には喫茶店でのテーブル越しの高橋(斎藤達雄)と小夜子(田中絹代)の会話で、小津の指摘する「二人が同じ向きで視線の合う指向性」が早々に現れます(図1、2 33:30)。しかし、ここではまだ体が斜めを向いています。

     

     

    ◆小津の文法(1)−会話1 ◆小津の文法(1)−会話2
     図1  図2







     

     

     

     

     


    なお、この会話は他にも次のような三つの特徴が挙げられます。まずこれは「◆構図至上主義(5)−分断と目眩ましショット」でみた、分断ショットの原型のようです。高橋の手元にある三角の小壜が小夜子側では映りません。そして、ここでのように食卓やテーブルを挟んでの斜めに向かい合って行われる会話も後の作品によくみられます。

       らにパンを入れた硝子の器との位置関係を見ると、彼らの視線の左右が合っていないのが分ります。初めに小夜子の後ろから二人を映す引きのショットで、彼女は奥に高橋のいる器の方を向きますが、前からの寄りではそれの左側を見ています。しかしテーブルや背後の壁との関係は正しいようなので、体の位置や向きは合っているでしょう。ここは後にあるような視線の左右のずれなどではなく、小夜子の正面にある器を構図のために右に寄せたものと思われます。

    次の作品「その夜の妻」でドア越しでの刑事(山本冬郷)と妻(八雲恵美子)の会話で切り返し(30:36)。少し飛んで「淑女と髯」には岡島(岡田時彦)のアパートで彼と着替えを手伝うモガ(伊達里子)の会話で、近距離での視線越え(1:03:58)。中間距離に戻って、「青春の夢いまいづこ」はベーカリーで学生達による数人囲んでの、相手の姿が映る視線越えと(05:28)、堀野邸の応接室で哲夫(江川宇礼雄)と斎木の母(飯田蝶子)の会話で、相手の姿が画面から外れる視線越えがあります(1:04:17)。


    視線の前後のずれ

       年の「非常線の女」は凝った作りになっており、いたる処に仕掛けが組まれています。会話において、その特徴を表したものとしては、まず冒頭の時子(田中絹代)が岡崎社長(南條康雄)から指輪を受取る場面で、形の整った相手の肩越しからの近距離での視線越えが見られます(03:40)。

    そして注目すべきは次の中間距離の視線越えです。ここでは一人の人物だけが構図的に美しく映されていますが、これは類型的には後年の小津映画の特徴である、視線の前後がずれた会話に相当します。

    ボクシング・クラブにいた襄二(岡譲二)と、電話で彼を戸外に呼び出した和子(水久保澄子)の二人は、初め普通に会話する位置まで近づきます(図3 34:18)。しかし、その後の寄りはクローズアップではないので、相手が画面の端の方にいるはずなのに映りません(図4)。そして映された方の人物は画面の外にいるはずの相手を見ています。つまり二人が映る時よりも視線が遠くにずれているのです。ところが引きで襄二のコートに掛かっていた和子の影も、彼が一人の時は写らないので視線の先にさえ相手がいないことが分かります。かりに和子を画面の外に立たせて影を写したとしたら、それは下の方にずれて汚く見えてしまうでしょう。

     

    ◆小津の文法(1)−会話3 ◆小津の文法(1)−会話4
     図3  図4



     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ただしサイレントのため、上図3で和子がお辞儀をした後「私、宏の姉でございますが……」の字幕が入ることにより、図4のようにカメラが寄っていても過度の不自然さは感じられません。トーキーになると直接寄ることはなく、カメラを一度切り替えして相手(ここの場合なら和子)の寄りが先に写されるようになります。


       らに後のホテルの一室での時子と岡崎社長の会話では、初めのうちは右、左、右と文法的ですが、時子の「私とても馬鹿なのよ」(1:01:38)からは、襄二と和子の場合と同じように撮られています。貴田庄はここで相手が消えていると指摘しますが(肖像画とまなざし)、実際にはアップで視線が画面の外へずれるとみるべきでしょう。

    これより古い「青春の夢いまいづこ」には、正面の人物を中心からずらして、相手の後ろ姿を画面の反対側の端に映し出すものと、正面の人物を中心にして、相手を画面から消すものとがありました。どちらも写実的に撮られており、前者はあまり美しい構図とはいえず、後者も相手は画面に映るほどには近寄りません。したがって視線に関してならば、小津は「非常線の女」から構図を写実よりも優先するようになったとみて良いでしょう。

       お蓮實重彦によると「非常線の女」の三年前「落第はしたけれど」で、喫茶店の外に姿を現した小夜子(田中絹代)と、下宿の二階窓際の学生たちの交わす視線が、水平であるのが不自然だとのこと(見ること―下宿の窓)。しかし脚本には「5 喫茶店 二階の窓を開け、店の娘、小夜子が顔を出す」と書かれており、実際の映像も彼女は窓辺に姿を現したのであって、窓脇の看板もかなり低く、そこが二階であることを示しています(11:52)。

    このショットが二階のように見えないのは、闇夜の背景がほとんど映らないことにより、窓枠の下に伸びている庇がはっきりせず、ここから地続きのように思えるからです。それでも小夜子が顔を出す前のショットはやや明るく、さらに少し引いているので庇も確認できます(11:37)。

    「非常線の女」では事件が解決して地上にいる警官が仲間に合図を送るときに、同じ屋外の者や屋内の階上にいる者たちへの視線を、その高さの違いにより区別しています(1:38:39)。もちろん階上からは逆の視線を向けます。小津が一階と二階の高さの違いを無視するかのように、目線の一致には無頓着ということは有り得ません。視線のずれのような可笑しな映像は、写実よりも構図を優先する時に現われるのです。

       の後、近距離で映される人物も、カメラのある辺りを見ることにより視線の前後がずれるようになります。しかし、それが見られるのは、ずっと先の「晩春」での二場面、小料理屋「多喜川」の紀子(原節子)と小野寺(三島雅夫)(16:24)、それと七里ケ浜の紀子と服部(宇佐美淳)(23:30)の会話からでしょう。このように二人が肩寄せ合うほどの距離では一人をアップで撮るとき、小津のカメラは相手がいるはずの位置まで寄らないため、カメラの近くにある視線は二人を映している時よりも離れてしまうのです。

    普通の演出なら人物の表情を強調するために顔だけを大写しにするわけですが、さらに強調したければ目元まで寄り、ついには瞳だけとなります。しかし、これでは瞳の色が同じなら誰を映しても変りがないでしょう。小津はクローズアップでも必ず肩までは映していますが、それは人物の表情ではなく性格を表すためだからです。これは証明写真の撮り方と同じ理屈だと言えるでしょう。もっとも小津自身、抵抗があったのか、このような視線のずれは「晩春」までは現れません。しかしその後は小津調として頻出することになります。

    例外的なショットですが、視線のずれでは済まない場合もあります。「東京暮色」浜離宮の堤での明子(有馬稲子)と木村健二(田浦正已)の会話では、一人を映すときの距離が遠過ぎます(46:43)。ここは二人の気持ちが離れていることを表しているものと思われます。おでん屋では母喜久子(山田五十鈴)と新しい夫である相島(中村伸郎)が並んで腰掛けていますが、彼が喜久子に寄った後も、相島からのアップで映す彼女との距離は変りません。さらに会話も無くなるので、相島が突然いなくなったように感じます(2:05:28)。これは芝居におけるスポットライトの効果であり、彼女の孤独な心境を現したものでしょう。しかしその開きが目立たないように彼女の肘から下に影を当てていますが、これは一体何が映っているのでしょうか。



    指向性の進化

       トーキー「一人息子」の家族でラーメンを食べる場面は(43:10)、後年のようなアップではありませんが、三人が同じように左側を向いて視線も左にあり、指向性を表す形なので単純で統一感もあります。前掲文「映画の文法」の少し前で、小津がこの場面を例にして、指向性のある会話について説明していることもあり、「一人息子」によってこの会話の形式が確立されたとみて良いでしょう。なおこの原型が五年前の「淑女と髯」に、岡島が広子(川崎弘子)宅へ礼に上った時の彼女の母(飯田蝶子)を加えてのものにありますが、ここはショットごとに姿勢や体の向きが変っています(42:50)。

    「一人息子」ほど極端ではなくても、三人による同様の会話が、以後の作品でもよく見られるようになります。例えば「東京物語」には、紀子(原節子)のアパートで彼女と義父母(笠智衆、東山千栄子)との会話があります(43:11)。「一人息子」の次の作品「淑女は何を忘れたか」にも有閑マダム三人(栗島すみ子、飯田蝶子、吉川満子)による会話が、冒頭の小宮家と終り近くの喫茶店で見られます(04:16, 1:04:36)。つづく「戸田家の兄妹」には料亭ので次男(佐分利信)と悪友二人(34:33)、そして戸田邸の母(葛城文子)と三女節子(高峰三枝子)、友人時子(桑野通子)(1:43:17)の会話があります。

       かし後の二本の作品では、何れもアップになるのは一人だけであり、あとの二人は並んで映ります。「戸田家の兄妹」では、全体的にアップが少ないと内田吐夢に指摘されて小津もそれを認めています( 惴妖腸箸侶史紂抔‘ぁ法さらに、ここでは製作者としての、かなり自信のある発言もみられますが、これが会話の演出にも表れていると言えるでしょう。

     

     

    「いつも仕事を上げると、当分は仕事が厭になるのだが、今度は仕事をやっていて調子がわかって来た時分に仕事が終ってしまったので、次の仕事に早くかかりたい。何か早く撮りたい。これは今までないことだね」



    「父ありき」では父(笠智衆)と、かつての教え子二人(佐分利信、日守新一)との会話(57:24)が、「戸田家の兄妹」と同じような演出となっています。よく指摘されることですが、この作品では塩原の温泉宿にある食事の場面には、二つのお膳を右と左にずらして、斜めに会話する特異な演出がみられます(46:28)。これは父と息子二人の会話が物語の大半を占めるので、その単調さを補う目的もあったでしょうか。


    体や顔の向きの変化

       線のずれの他に、カメラの寄りや引きで体や顔の向きが変ってしまうこともあります。「秋日和」アヤ子(司葉子)の勤め先屋上での彼女と百合子(岡田茉莉子)による会話をみると、引きでは斜めに映る屋上の手すりに体が向いて背中が見えますが、寄りで体は開いて真横になります(51:27)。ここで画面に映る方の肘を手すりに掛けているので反対側はその外に出ているでしょう。そして顔は相手のいる手すり沿いの斜め後方ではなく正面のカメラに向きます。ボードウェルはこの時起こる視線の左右のずれを指摘していますが(㉔自由と秩序 p.202)、これから見ていくように、このような映像は寄りで体がカメラに向かう(ここでは斜め奥から真横)ことが前提となっています。

    この場面は二人のもたれ掛かる手すりが基準になるので、引きのショットを見なくてもはっきり分りますが、この体のずれが初めて現れるのは「宗方姉妹」のようです。京都の寺で満里子(高峰秀子)と父忠親(笠智衆)が鶯の鳴き真似をする場面で、二人とも前方を向く引きのショットに対して、一人のアップの時には体が相手の方に向いています(図5、6 51:56)。したがって、ここでは視線の向きは合っています。そして満里子の場合は寄りが直接行われており、前方からの屋外と後方からの屋内のカメラに対して、体の向きが変わらないので、あたかもカメラが真っすぐ寄っているように見えます。これより前の薬師寺での姉妹(10:56)や、酒場「アカシア」で編み物をする姉節子(田中絹代)とファッション雑誌を読む満里子(23:40)の会話では、初めから少し相手の方に体を向けており、アップで動いていたとしても判別できません。

     

    ◆小津の文法(1)−会話5 ◆小津の文法(1)−会話6
     図5  図6




     

     

     

     

     

     

     

     


    前作「晩春」にあった視線の前後がずれる小料理屋と七里ケ浜では、体や顔の向きは正しく撮られていました。小料理屋の紀子は初めの引きで両肘を前に突いていますが(16:23)、小野寺を映した後のアップで既に右肘を外して彼の方に向いています(16:29)。次の相手のアップからの引きになると、その肘は少し掛けた状態になっており、そこから再び前に出して体もそちらに向けます(16:41)。七里ケ浜の紀子は同じショットの中で体を動かしています(23:38, 23:50)。

       まり体の向きを変えるのは相手のアップの間か、自分が映っている同一ショット内であり、前者は不自然でない程度に行い、後者ではその動きをはっきり見せています。寄った時にいきなり姿勢が変ってしまうことはありません。このように中心となる人物がある場合、引きで背中を向けているような相手の寄りや引きは、直接行われてもカメラの向きが大きく変るので、この切り返し自体には不自然さはなく他でも多用しています。反対に小料理屋にあるような、単に説明するだけの無駄な動きは以後の作品には見られなくなりますが、これは小津の大好きな原節子を丁寧に撮ったものと思われます。

    さらに一つ前の「風の中の牝鷄」土手の上の妻時子(田中絹代)と友人秋子(村田知英子)も、初めに上方から映すショットと下方からのそれとでは、構図を優先するために二人の位置は変りますが(上方からは時子の顔が見えるように体を秋子に向けて、下方からでは二人の体はほぼ平行)、会話が始まると動かなくなります。アップでの時子の顔は若干正面寄りですが、ここは顔や体の向きよりも腕の伸びる方が不自然です(32:45)。まだこの作品では人物を形として捉える構図だけに作者の注意が向いているようです。

    ◆構図至上主義(4)−動く小道具」で見たように、「宗方姉妹」の次作「麦秋」では紀子(原節子)と田村アヤ(淡島千景)が会話する時、紀子は引きで左のアヤに向いていますが、アヤに切り返した後の彼女のアップになると、アヤを無視してカメラの方に寄って正面を向いてしまいます。

     

    ではなぜ「晩春」後の作である「宗方姉妹」満里子の時は、直接カメラが寄ってしまうのか。それは屋外のかなり離れた処からのため、初めに人物が背景に取り込まれており、寄りの効果が出ていないからだと思われます。この極端な寄りやさらに引きによる例外は、一人の人物に対して行われる場合も「宗方姉妹」の父の忠親や節子によって起きています(「◆変な小津映画(2)−変な「早春」」参照)。この作品が異色作とみられる一端がここに現れていると言えるのではないでしょうか。

    「東京物語」平山家での紀子が東京に戻る日の朝にある、彼女と京子(香川京子)の会話を見ると、引きで紀子は体を正面、顔は左の京子の方に向けていますが、京子側からのアップでは体もそちらに向いて顔、体ともに正面になります(2:04:41)。したがって画面に対して体の向きはほとんど変りません。

    「東京暮色」の姉孝子(原節子)が父の周吉(笠智衆)に、夫である沼田(信欣三)の家に戻る話をする場面では、引きで二人を映すとき、彼女は顔を肩口まで回して視線を相手に向けており、周吉側からのアップで体の向きもそちらに近づき、顔との開きが狭まります(2:14:00)。ここも「東京物語」の紀子と同じように見ための体の向きは変らず、さらに姿勢もそのままなので、背景が変ってもカメラが真っすぐ寄っているかのように見えます。

       れらのことから、後年での小津の人物の撮り方には寄りと引きで違いのあることが分ります。カメラが引いている時は、人物は全体の構図の中に収まって自己を主張しませんが、アップになると体や顔がカメラの方に向いて性格が強調されるのです。もちろん、そこでの構図も重要視されています。

    このような寄りや引きで起る体や顔の向きの変化は、以後のカラー作品で随所に現れてきます。「彼岸花」の夫平山渉(佐分利信)と妻清子(田中絹代)が娘の結婚式の出欠でもめる時は、清子の寄りで視線は動きませんが、カメラを避けるように体と若干、顔の向きが画面左奥の方に変ります(1:22:20)。しかし、ここは普通とは逆の動きなので性格描写のためではありません。その後そっぽを向く時に綺麗な姿勢が保てるように、予め体と顔をそちらの方に向けているのです。


    指向性の真意

       ころで小津の言う、「Aが左を向いていればBも左を向いている。その方が視線が合うし、指向性が崩れない」とは具体的にはどういうことなのでしょう。普通に見れば、切り返した時に人物の形が同じように映るので構図的に綺麗だという意味にもとれます。しかし指向性を深読みすると、それは二人が同じ考え、同じ気持ちを抱いていると言えるのではないでしょうか。小津は「麦秋」が輪廻を表す、「東京物語」は最高のメロドラマ(映画の味・人生の味)などと言葉をよく拡大解釈するので有り得ることです。

    後者は恋愛話がないので、たとえコメディーであっても、それのある「お早よう」よりもメロドラマ性が低いと思われます。そもそもメロドラマというのは通俗的な恋愛物であるはずですが、小津は自身の作品も含めて、観客を泣かせるものがメロドラマだと言っています( 惴妖腸箸侶史紂抔‘ぁ法そこでは津村秀雄からこの言葉を、そのような意味で使わない方がいいと指摘されたにも関わらず、彼は考えを変えていません。

       向性のある形は必然的に、お互いに向かい合って相手を見ることになるので、二人が気まずかったり対立するような場合は、どちらかが視線を外すか体の向きを変えてしまうので現われません。「晩春」で父の周吉(笠智衆)と娘紀子が仲睦まじく通勤する時は、同じ方を向き視線も同じですが(◆構図至上主義(1)−「晩春」の通勤電車 図2、3)、縁談話で気不味くなると体の向きが逆になります(1:06:05)。父から嫁入りを諭されても、まだ紀子の気持ちが収まらないので、それは変らず(1:31:40)、彼女が嫁ぐ日になって、やっとお互いのわだかまりも解けて向きも視線も等しくなります(図7、8 1:39:48)。

     

    ◆小津の文法(1)−会話7 ◆小津の文法(1)−会話8
     図7  図8




     

     

     

     

     

     

     



    しかも通勤時とこの嫁入りの二つの場面は、構図もほぼ同じです。父と娘の映る高さは反対ですが、これは実際の高さが異ることよりも、高く映る方の相手を思いやる気持ちが表されているからでしょう。さらに物語の初めと終りにこれらを置くことにより、その効果を際立たせています。始まりと終わりの同じような場面というのは多く、小津の得意とするところでもあり「晩春」は小料理屋で行われます。これは観客が意識することですが、嫁入りの場面は無意識で観ています。そして改めて通勤電車を思い浮かべながらこの場面を観ると強烈な印象が残ります。

     

    一つ前の作品「風の中の牝鷄」桜井宅での、夫修一(佐野周二)と小野田房子(文谷千代子)の会話では、カメラにより近い房子が高く映されますが(1:02:32)、これは修一が俯いた彼女を質問責めにしながら、じろじろ見ている様子を表しています。


    視線と型の簡略化

       女二人でラーメン屋の壁際に座る場面が「お茶漬の味」(◆構図至上主義(6)−映画界のセザンヌ 図16)「早春」「秋日和」の三作にあり、初めは何れも右後方から撮りますが、その他の演出はそれぞれに特徴があります。「お茶漬の味」は岡田(鶴田浩二)が前から覗き込むようにして体を開きながら後方を見て(1:01:02)、節子(津島恵子)は前方を見ます(1:01:05)。そのため、視線は画面に向ってどちらも左向きになりますが、岡田の方は体を開き過ぎるので、その左右はずれています。「早春」では千代(岸恵子)が真横を向き(30:40)、杉山正二(池部良)は斜め向きで流し目をして(30:44)、視線は二人とも正面を向きます。

    「秋日和」の後藤(佐田啓二)と(1:33:22)アヤ子の視線はどちらも正面にありますが(1:33:25)、屋上の手すりでの彼女と百合子の時と同じように視線の先は壁から離れているので、その左右はやはり合っていないでしょう。そして後の作品になるほど、アップの寄りが弱くなるために前後のずれは大きくなります。

       線以外の演出をみると、「お茶漬の味」では初めに店の外から、のれん越しに二人の背中を映します。さらに岡田の覗き込みを強調するように、壁に寄って彼の前方から二人を撮るショットがあります(1:01:12)。「早春」で二人を映す時は、初めは店の外観の代りとして引いて店内を広く撮り(29:44)、右からだけでなく左後方からのショットもあります(30:22)。

    「秋日和」の二人が映されるのは一回だけで、後は交互に二人のアップを撮り続けます。ここでも場面の初めに、店の外観の代りに二人の座る後方を映すのですが(1:32:56)、未だ椅子には誰も腰掛けておらず、次の引きのショットで二人がいきなり現れます。先にある二つの椅子は後藤の奥にあるもののようですが、彼が手前に座っていれば背中が見えるはずです。

    しかし、これは時間が飛んでいるわけではありません。それはショットの変り目で店員が右方向に通り過ぎることで示されています。小津はこのような動きを伴うショットのつなぎを多用しており、普段は次のショットへの誘導になるわけですが、寄りや引きの時にはショット毎の構図を優先すると、つなぎがぎくしゃくして理屈にも合わなくなってしまうので、それを誤魔化す目的もあったと思われます。ここでは観客は動きのあるものに気を取られてしまいます。また中心となる人物の動きの場合は、それによって姿勢が変ったのか、単にずれているのかの区別があいまいになります。

       上のことから、全般的には後年のものほど小津調が高まり、その演出は単純になってゆくのが分ります。次は「秋日和」製作時の小津の言葉です。


    「なにも動きをつけなくても、人格をはっきり描き出していれば登場人物の感情は観客に通じるはずなんですよ。いままでも動きを省略しようと思いながら、なかなかできなかった。なんか説明つけないと――と思っちゃうんだねえ。『秋日和』では説明を一切省略する」(悪いやつの出る映画は作りたくない)


    カメラ目線

       津映画の会話における、最も顕著な変化を定めるのは難しい、というより意味のないことかも知れませんが、あえて挙げるなら、それは「風の中の牝鷄」になるでしょう。何故なら人物の視線がカメラを向くのは、この作品から始まっているからです。そして、その時の体も正面を向いています。

    夫修一が復員する前にある、自宅での妻時子と友人秋子の会話では、秋子が正面から映りカメラを見ています(27:32)。さらに会話ではありませんが、少し前の鏡を見る時子の正面からの視線もカメラに向いています(21:44)。夫の復員後のそこでの時子と秋子の会話では、姿勢を崩してはいますが時子もカメラを見ています(図9、10 45:55)。

     

    ◆小津の文法(1)−会話9 ◆小津の文法(1)−会話10
     図9  図10




     

     

     

     

     

     

     

     


       めの会話の方は少し前から始まっているのですが、そこでは未だ、秋子の体や視線はやや左にあります(25:38)。次に引きで横から映されて、相手に詰め寄った後に正面からのショットになるので、この正面であることを特に強調していることが分ります。視線がカメラを向くというのは、観客がその人物と見つめ合うことになるので、視線について最も強い効果を生み出すことになります。

    もちろん、同じような演出は他の監督のものでも見られますが、既に十八年も前にオリジナルの指向性のあるショットを実現していた小津にとって、これはとても重要な意味があったはずです。観客は見られている相手(鏡を見ている時子の場合は彼女自身)と同一化してしまうでしょう。そこには人物の性格が表されているからです(後に書く「◆普遍性(2)−懐かしい風景」参照)。小津以外の監督はこれを大写しにしてしまい、却ってその効果を落としていると思われます。

       の二人の会話では、時子もほぼ正面を見ますが微妙にずれています。それはここでの彼女の夫に対する裏切りへの戸惑いよりも、後の夫に秘密を打明けてからの心情の方を強調しているからです。しかし何故か、より重要であるはずの夫婦の会話では、このような演出はみられません。これは後にみる、小津の逆しまな演出方法と言えるのかも知れません(「◆小津の演出(3)−親の悲しみ」参照)。

    以後の作品でも同じような視線がたびたび出て来ますが、それらを見ていけば、小津がその僅かな違いを区別していたことが分ります。

       ぎに二人の視線がカメラを向くのは「お茶漬の味」になり(1:52:29)、ここでは佐竹妙子(木暮実千代)が姪の節子(津島恵子)に作品のテーマを語っています。次作の「東京物語」でもやはりテーマにつながる会話でみられます(2:07:13)。この作品では初めの方から幾つかありますが、それは親族としての気持ちのつながりを表しているのでしょう。それでも最後の周吉と紀子との会話が印象深いのは、その内容はもちろんですが、二人のカメラ直視も大きな要因と言えます。そして、どちらの作品も一人は体を正面に向けませんが(「お茶漬の味」妙子、「東京物語」周吉)、それは「風の中の牝鷄」のような緊張感のないことを表しています。「東京物語」では最後に周吉がとみ(東山千栄子)の形見の時計を紀子に渡すときに正面を向きますが、彼女の方は俯いてしまいます(2:10:45)。

    次作の「早春」三石の下宿にある、妻昌子(淡島千景)の体が正面を向いた斜めの視線と、夫正二の斜め向き正面の視線は最も複雑な組合せとなっています(2:21:11)。しかし和解するという重要な場面であっても、その内の一人しか視線がカメラに向かわないので、観る側ははぐらかされたように感じます。先ほど見たように、密会の現場であるラーメン屋で正二と千代の視線は正面になりますが、彼の方はその心境を示す嫌らしい流し目です(30:44)。反対に千代は罪の意識もないような表情をカメラに向けます(30:40)。

    戦友二人を泊めた翌朝の彼らの会話で、正二と戦友の一人平山(三井弘次)の視線も正面を向きますが(1:12:22)、二人の体は斜めであり、ここは物語の本筋でもありません。このように体や視線の向きの規則性が乱れたのは、先ほどの「風の中の牝鷄」でみた逆しまな演出に加え、小津がこの作品で役者に自由に芝居をさせたということも影響しているでしょうか(「◆変な小津映画(2)−変な「早春」」参照)。

       話する二人の体と視線のどちらも正面を向くのは、最後の白黒作品「東京暮色」のおでん屋奥での母喜久子(山田五十鈴)と妹の明子(有馬稲子)の会話からであり(1:42:37)、この場面により会話における総ての小津調切り返しショットが確立されました。初めて視線がカメラを向いた「風の中の牝鷄」も同じように深刻な内容を扱っていましが、このことは偶然ではなく、どちらも会話の重要性を示すために取り入れられたものとみて良いでしょう。

    なお「東京暮色」の初めの方にある、うなぎ屋での周吉と竹内重子(杉村春子)の二人による外食場面は(16:21)、以後のカラー作品に出て来るそれの始まりでもあります。もっとも、ここでは未だ視線は正面を向いていません。このような場面でどちらも体と視線が正面になるのは、「秋日和」うなぎ屋での間宮宗一(佐分利信)と三輪秋子(原節子)の会話からです(25:17)。前作「彼岸花」の中華料理屋では、平山渉(佐分利信)と三上文子(久我美子)の視線はどちらも正面を向きません(1:03:15)。

       の作品で体の向きに関わらず二人の視線が正面になるのは、母清子(田中絹代)と姉節子(有馬稲子)の最後の会話(1:34:51)だけのようです。ここは節子の結婚を父の渉が許したことを母が知らせるのですが、それがこの作品の一番の見せ場だということを証明しています。そして他の場面では、どちらか一方は必ず視線をカメラから外していますが、これまでの作品に比べてとても微妙な場合が多く、「◆構図至上主義(4)−動く小道具」にあった演出のように、この作品には視線についても強いこだわりが見られます。したがって初めてのカラー作品である「彼岸花」は、見た目の新しさの裏に小津映画としての総決算の趣があります。初トーキーの「一人息子」でも同じように小津の指向性の会話が確立されていました。


    カメラ直視の多用と型の崩し

       ころが「秋日和」になると、先ほどのうなぎ屋での間宮と三輪のように、さほど重要とは思えない場面でも、ただ真面目な話をしているというだけで、たびたび視線が正面になります。それは例えば、田口家での夫婦(中村伸郎、三宅邦子)と娘(田代百合子)(18:36)、間宮家の宗一と娘路子(桑野みゆき)、彼と妻文子(沢村貞子)(28:20)。その後の作品も多少控え目ですが同様に撮られています。「小早川家の秋」氷屋での万兵衛(中村鴈治郎)と丸山六太郎(藤木悠)(24:12)、「秋刀魚の味」とんかつ屋の平山幸一(佐田啓二)と三浦(吉田輝雄)の会話では(◆構図至上主義(5)−分断と目眩ましショット 図3、4)、男同士で終始お互いを見つめ合っています。

    このような表現では正面からという効果は弱まってしまいます。初めに挙げた「映画の文法」の中で、小津はクローズアップについて、それを撮り続けたならばアップの効果はなくなり、その後にくるロングを強調することになると述べています。後年の「晩春」での嫁入りの場面は、少し前の父周吉と服部の会話(1:37:02)で二人のアップを撮りながら、ここでは少し引いており、明らかにこちらの方が重要なのでアップを強調していないことが分ります。そしてスタンダードにこだわった小津は、シネマスコープに対抗するためにアップを増やしカットを細かくしたと「秋日和」の後に語っていますが(映画の味・人生の味―浮草)、それに加えて正面からの視線も増やしていき、これを重要視しなくなったのだと思われます。

    「秋日和」法事後の会食では、アヤ子が田口(中村伸郎)から男の好みを訊かれて、彼の「たとえば僕みたいの、どお」に対して「好きです」と答える時、田口の視線は正面ですがアヤ子の方は、ほんの僅か左に外しています(10:44)。これは彼女が田口の視線を避けているからです。小津は「秋日和」製作時に「人格をはっきり描き出していれば登場人物の感情は観客に通じる」、「説明を一切省略する」と述べていましたが、この作品から、重要な場面だけに限りお互いの視線が正面を向くという分りきった演出を止めてしまい、微妙な心理を表現していったのでしょう。

       ードウェルは小津映画での同じ構図で統一された、頭部までも重なる会話について指摘しており、それは現存する最古の作品「若き日」から見られます(㉔内在的規範に向かって p.176)。しかし小津の会話には、二人の向きが左右反対であったり、あるいは寄りと引きなどで形や見ための大きさが異っても、多くの場合その頭部は重なります。これによって観客は視点を変えずに見ることが出来るのですが、このことは小津映画での会話における重要な特質になっています。

    人物が画面中央にいなければ左に寄る傾向があり、初期のサイレントが顕著です。これも「若き日」で確認でき(24:35 その他多数)、最後の作品「秋刀魚の味」でも、平山家でのバーのマダム(岸田今日子)のうわさ話(45:22)などで見られます。そこでは父への借金に訪れた長男幸一を含めた家族四人が、お互いの向きや姿勢が異りながらも頭部はみな重なっています。

       かしこの作品の山場である嫁入りの場面を見ると、路子(岩下志麻)と父周平(笠智衆)は、中心から右と左にはっきり外れています(図11、12 1:38:40)。さらに視線も周吉がほぼ正面を向いているのに、路子は斜めにあらぬ方を見ています。カメラは真っすぐ部屋の内と外に向いており、これは相手の視線近くにあるはずです。これらのショットに入る前、路子が父親の前に歩み寄る時は斜め後方に進み、彼の正面で若干向きを変えながらもまだ斜めを向いています。つづく前からのショット(図11)は、このカメラに対する彼女の向きを保っているのでしょう。

     

    ◆小津の文法(1)−会話11 ◆小津の文法(1)−会話12
     図11  図12






     

     

     

     

     

     

     

    同じ嫁入りでも「晩春」での二人は、頭部が重なり向きも視線も合う指向性になっていました(図7、8)。「秋刀魚の味」では人物が正面を向く会話とは対照的に、統一感を失ったことになりますが、これも視線をずらすことにより、ショットごとの構図をより重視するようになったからだと思われます。

     


    まとめ

       津映画の会話における、人物の距離や、体と視線の向きの型をまとめると次の十五項目となります(本文では題名を青字で示した)。太字は初出の指向性、視線の前後のずれ、カメラ目線、体や顔の向きの変化ですが、これらは会話での小津の四大技法と言えるでしょう。


    1 遠距離での切り返し、人物の形と顔の向きが同じ(「若き日」'29年)
    2 中間距離での視線越え(「朗らかに歩め」'30年)
    3 中間距離での指向性のある視線越え(「落第はしたけれど」'30年)
    4 中間距離での切り返し(「その夜の妻」'30年)
    5 近距離での視線越え(「淑女と髯」'31年)
    6 中間距離での複数人による視線越え(「青春の夢いまいづこ」'32年)
    7 中間距離での相手の姿が画面から外れる視線越え(同上)
    8 近距離での視線越え、相手の肩越し(「非常線の女」'33年)
    9 中間距離での視線越え、視線の前後のずれ(同上)
    10 中間距離での視線越え、三人による指向性(「一人息子」'36年)
    11 中間距離での視線越え、一人が正面を向き二人とも視線が正面(「風の中の牝鷄」'48年)
    12 近距離での切り返し、視線の前後のずれ(「晩春」'49年)
    13 中間距離での寄りや引き、体や顔の向きの変化(「宗方姉妹」'50年)
    14 中間距離での視線越え、正面向き斜め視線と、斜め向き正面視線(「早春」'56)
    15 中間距離での切り返し、二人とも正面向きで視線も正面を向く(「東京暮色」'57)


    これらを見ると、他の監督作品にもある切り返し(四件)よりも、小津のオリジナルの視線越え(十件)が多く現われるのが特徴です。これは正面よりも斜めを向く場合が多いからであり、それが文法に従ったものではなく、視線越えの会話だということになります。

    もちろんフィルムが損失している作品の方が先であることも充分考えられますが、全体的な推移には変りないと思われます。例えば「非常線の女」('33年)にあった視線のずれが、小津の強調した指向性(「落第はしたけれど」'30年)の前にくるとか、「風の中の牝鷄」('48年)のように視線が正面を向くのが、サイレント(「大学よいとこ」'36年まで)に現われるようなことはないでしょう。

       ランソワ・トリュフォーは小津の会話について次のように述べています。「一人の人間の視線を追っていくと、実はそこには相手がいないのではないかという不安に襲われてしまう」(立ちどまること―固定ショットと不自由)これは普通の会話に慣れた人の見方によります。逆に小津の会話に慣れてしまえば普の会話はとっても退屈になります。

    それでも工夫をこらしたものは、主人公をアップで撮ったり、話者が変るごとに上向きや下向きに角度を変えたりなどしますが、これではとても落ち着いて観ていられません。最近の小型カメラでゆらゆら、あるいはがくがくと、おそらく作者が臨場感を出そうとしているのだろうと思われるものは、まるで報道番組のように見えてしまいます。人の視線は自分の体が動いても対象を追い続けるものなので、カメラ本体に固定されたレンズで撮られたものが同じように見えるはずもなく、これは空しい努力に思えます。

    トリュフォーが指摘していたのは視線越えについてですが、百八十度の切り返しにしても小津の会話が不自然なのは、観る側がカメラで撮られていると考えるからであり、撮り方など意識しなければ良いのです。それは小津映画の会話における、中抜きによる特撮であると言えます。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)