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    ◆小津の演出(8)−俯瞰

    • 2018.04.11 Wednesday
    • 09:58

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    俯瞰 【参考文献】

     

     

     

     津映画には俯瞰がないと指摘されることもありますが、それは全くないわけではなく、サイレントの初期は少ないともいえません。トーキーになっても十数作品に現れ、とくに「東京物語」は尾道を中心として多く、俯瞰の綺麗な作品となっています。なにも俯瞰のないことが、その作品の欠点であるわけでもないのですが、小津の俯瞰はないのではなく、他の演出と同じようにカメラ固定で抑えられているのです。それは登場人物が見ているか、もしくは人がそこにいたら見えるだろうという光景を表すのが原則で、これを破るものとしては「浮草」に屋根の上からのものが二つあります。これらのショットはカメラマン宮川一夫の要望で撮られたとのこと。

     

    「早春」最初の俯瞰では、駅に向かう群衆を柵越えに映していますが(06:59)、何処からの眺めなのか定かではなく、したがってそれを見ている人物もいません。「小早川家の秋」での二階から地上を見下ろす場面は(52:47, 1:17:27)、似たようなものが初期のサイレントで学生の下宿等にもあるのですが、「小早川家」の方は唐突な感じがして、他社製が原因とみられるサービス精神の過剰です。

     

     また俯瞰としての効果のないような、さり気ないものが「お茶漬の味」(08:43)、「秋日和」(1:32:17)にあります。どちらもビルの窓から街を見下ろして次のショットで場面が変るのですが、それを眺める人物がいないのでカーテン・ショットと言えます。しかし、これらは俯瞰であるために、誰かが見ていそうな気配のする不思議なショットになっています。「秋日和」の方は窓からかなり飛び出してもいて、脚本には「81 屋上の俯瞰」とあるので演出の乱れでしょう。この後は脚本通りに屋上にいるアヤ子が映されて、そこからの俯瞰が現れます。

     

     下に小津映画の俯瞰を挙げますが、土手の上や海岸の風景によくあるような、高さはあってもそれを感じにくいものは除きます。*付きは正しくは俯瞰ではなく、カメラが水平でもビルの屋上などのように、見晴らしのいい場所で下方が映されている俯瞰もどきです。なお「秋日和」に二つあるそれは、厚田の指摘ですが(ァ屬釜」と「蟹」のロー・ポジション―小津さんのロー・アングル)、おそらくカメラの視点は下方を通過する電車にあり、俯瞰とみてもよいと思われます。

     

     

     
    1. 「若き日」8(01:04, 03:39, 18:47, 42:34, 47:04, 54:49 ここはスキー場のため多数あり、1:36:54, 1:42:17)
    2. 「大学は出たけれど」1(11:12*)
    3. 「突貫小僧」1(03:21*)
    4. 「朗らかに歩め」8(26:23, 27:10*, 45:05, 1:06:40*, 1:09:38, 1:09:44*, 1:13:43*, 1:35:22*)
    5. 「落第はしたけれど」2(41:26, 57:18)
    6. 「その夜の妻」3(13:23, 40:32, 1:02:53)
    7. 「淑女と髯」1(1:13:25)
    8. 「東京の合唱」1(51:18)
    9. 「生れてはみたけれど」1(1:01:50)
    10. 「青春の夢いまいづこ」1(1:24:28*)
    11. 「非常線の女」5(01:15, 04:58, 1:24:51, 1:25:54, 1:38:49)
    12. 「出来ごころ」1(1:38:04*)
    13. 「母を恋はずや」1(1:07:40)
    14. 「父ありき」1(18:16)
    15. 「風の中の牝鷄」2(29:06, 1:15:17)
    16. 「晩春」1(35:54)
    17. 「麦秋」2(09:24, 1:55:33*)
    18. 「お茶漬の味」2(08:43, 54:25)
    19. 「東京物語」9(02:59, 34:05*, 39:20*, 53:10, 1:42:29, 1:48:08, 2:12:39, 2:13:36, 2:14:44)
    20. 「早春」3(06:59, 08:52, 2:18:15*)
    21. 「お早よう」1(1:30:58*)
    22. 「浮草」2(05:54, 13:29)
    23. 「秋日和」3(51:49*, 1:32:17, 1:32:49*)
    24. 「小早川家の秋」4(52:47, 54:43, 1:17:27, 1:18:06)
     

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆小津の演出(7)−第一稿が決定稿

    • 2018.04.06 Friday
    • 12:00

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    第一稿が決定稿 【参考文献】

     

     

     

     画監督の仕事は大きく分けると脚本、撮影、編集の三つになるでしょうが、これらの何れを好むのかは監督によって異なり、それが作風にも現われています。世界の黒澤は撮影を好み、特撮の神様と謳われた円谷英二や小津を崇拝するヴィム・ヴェンダースは編集好きです(㉚「八月の狂詩曲」をめぐって)。黒澤のように撮影を好む映画監督は、世界に一人しかいないだろうとヴェンダースは言っており、なかには脚本を書かない監督もいるので、編集を好むのが一般的のようです。絵画の世界でも大作を濫作したルーベンスは、下絵を描いた後は弟子たちに色を塗らせておき、仕上げとしてハイライトなどに手を入れていたとのこと。

     

    ここで好むというのは重視するということでしょう。小津は脚本を重視して第一稿が決定稿、脚本ができ上れば作品の八割は完成ていると言い切っています(帰還第一作に着手する、㉘第三集 インタビュー集 浦岡敬一談)。これは製作に要する期間という意味にもとれますが、晩年の小津の脚本と撮影はどちらも三ヵ月ほどなので、「脚本が作品の八割」というのは、脚本を仕上げれば大幅な変更はないということだと思われます。

     

     かし小津の言っていた「第一稿が決定稿」には、印刷された脚本には手を加えなかったというような神話性があるようです。野田が「昔は第一稿は即第一決定、直しがちょいちょい出るのはトーキーがむずかしくなったことか……」と言ったように( 愾畚奸找談)、明らかな間違いがあれば訂正し、演出時の何らかの不都合やロケの関係で変更することもあったでしょう。実際に「戸田家の兄妹」昌二の台詞の追加や、「東京物語」尾道での京子の現れ方、敬三の位置が変るショットの追加等々、この程度の変更はたびたび行われていました(「◆小津と漱石(5)―C29 いいお天気」「◆構図至上主義(2)―「東京物語」の名場面」参照)。その他に、脚本と映像で違いのあるものの例を挙げます。

     

    「宗方姉妹」で姉(田中絹代)に対する義兄(山村聰)の暴力に激昂した満里子(高峰秀子)が、二度に渡って両手につかんだ凶器を投げ落しますが(1:25:58)、脚本にはこの間について「咄嗟に床の間に置いてあるピッケルを握って亮助を追う」としか書かれていません。そのため先に彼女が手にした物が何であるかは不明。とはいえ、この変更は多少の喜劇性も加わって成功していると思われます。

     

    「東京物語」の紀子(原節子)が勤め先で、義母(東山千栄子)の危篤の知らせを電話で受ける場面は(1:36:02)、脚本では自席に戻った後、彼女が非常梯子に出て考え込むことになっています。それのある建物を使えなかったのか、実際の映像では非常梯子のない、したがって彼女の映らない事務所の周りで建設工事が行われており、鉄筋がむき出しとなっていることもあって不可思議な印象を受けます。紀子の方は、かりに非常梯子があったとしても、彼女がそこに出ていたら仕事をサボったことになってしまい、実際の演出だけで充分表現されているので省略したとも考えられます。

     

    「早春」のハイキングの計画を立てる場面は、左右の二組に分かれて話し合いをします。「何処行くんだ」の台詞が本編では左のグループにいる青木(高橋貞二)になっていますが、脚本は右の杉山(池部良)です。これでは「何処行くんだ」の前後で台詞ごとにグループの左、右、左と短いカットのつなぎになってしまいます。そこで杉山の台詞を左の青木に代えることにより、ここでの三つの台詞は左側の人物だけとして一つのショットにまとめたように思えます。しかし、そんな単純なことなら脚本の執筆段階で気づいていたでしょう。さらにこの場面では、台詞ごとに連続でショットを切り換えている処が他にはありません。それは作品の全般的なカメラ固定の演出に合わせているためです(「◆変な小津映画(2)−変な「早春」」参照)。

     

    したがって、ここの台詞も初めは杉山のいる右だけにする積りだったのでしょう。「何処行くんだ」の前後は左の辻という人物の台詞ですが、他の場面を考慮すると彼は右の杉山のグループにいたものと思われます。映像では人数配分が五対三なので、彼が杉山側にいたとすると元の配分は四対四であったことになります。それでは構図も稚拙になるため、辻を左の青木の隣にして杉山の台詞も青木に代えたのでしょう。

     

     

     変更前:      変更後:
     
      左のグループ(4人)
     則子  2「江ノ島へ行ってから……」
     長谷川 1「そいで何処行くんだい」
         3「ハイキングは知ってるよ」
     千代  7「何言ってんの、誘惑してやるぞ」
     青木  8「おお、してやれ、してやれ」
     
     
     
     
      右のグループ(4人)
     辻   4「なァおれ、今度の日曜……」
         6「デパート行くんだ」
     野村
     杉山  5「何処行くんだ」
     田辺
       
     
      左のグループ(5人)
     則子  2「江ノ島へ行ってから……」
     長谷川 1「そいで何処行くんだい」
         3「ハイキングは知ってるよ」
     千代  7「何言ってんの、誘惑してやるぞ」
     青木  5「何処行くんだ」
         8「おお、してやれ、してやれ」
     辻   4「なァおれ、今度の日曜……」
         6「デパート行くんだ」
     
      右のグループ(3人)
     野村
     杉山
     田辺
     
     

     

     

     本を見ると、この作品には欠番が十二ヵ所もあります。小津は作品全体が長過ぎたら、ある場面をカットするつもりだったと言っていますが、実際に長過ぎるので、その他の多くをカットしていたのだと思われます。欠番は他の脚本には見当らず、これも役者に自由に芝居させようと意図したことの影響なのかも知れません。

     

    以下に「早春」の欠番を挙げますが、連続したものやカーテン・ショットの間のものは台詞が在ったのではないでしょうか(*付き)。これらは全て初めの八ヵ所、十五分ほどの間になりますが、おそらく冒頭を丁寧に書き過ぎたのでしょう。

     

     

     
    •  3〜4 杉山の自宅を映す前(03:17)*
    •  18 杉山のオフィスの時計が映った後(10:25)*
    •  21〜23 ハイキングの計画を立てる場面の前(10:45)*
    •  26 小野寺が杉山のオフィスを訪ねる場面の前(12:24)*
    •  32 「ブルー・マウンテン」の看板が映る前(15:04)*
    •  56 オフィスで杉山と見舞いに行った高木(山田好二―配役に名前が無い)が三浦の噂をする前(39:51)
    •  63 杉山と千代が外泊した朝の風景の後(45:27)
    •  96 杉山宅、戦友の消燈ラッパで昌子が明りを消した後(1:09:28)
    •  139 三浦の下宿先、花輪の映った後(1:49:37)

     

     

    「小早川家の秋」にある伝票の読み上げ算は、その枚数や金額が違っており、映画の伝票枚数 11枚、合計 33,455円(19:53)に対して、脚本では 6枚、36,320円となっています。枚数を増やしたのは、それが少な過ぎたからでしょうが、そもそも計算が合いません。個々の金額が 2,365円、1,780円、1,008円、550円、775円、3,530円なので、合計は 10,008円になります。もちろん、これは単なる計算間違いなどではなく、金額も現場で正すものとして、脚本には凡その当たりを付けていたのでしょう。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆小津の演出(6)−感銘の深まる映写時間

    • 2018.04.04 Wednesday
    • 05:05

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    感銘の深まる映写時間 【参考文献】

     

     

     

    「映画の場合、あまり短くても感銘の深いものは出来ないようです。今までのいい映画の統計をとって見ますと、映写時間にして一時間三十分から四十五分位、長さにして九千四五百といったところが一番多いようです。短いものだとそれ相当の感銘といったところで、さ程深いものじゃなさそうです。見ていて何といいますか、肉体的の疲労感が伴わないと本当の感銘じゃないような気がするのです」(映画と文学◆

     

     上はある座談会での小津の発言であり、映写時間 90分から 105分の映画が深い感銘を与えるということですが、この年に彼の製作した「長屋紳士録」は、戦後間もないことも影響して映写時間は 71分と短い。今では二時間以上が当たり前となり、小津のいう「肉体的の疲労感」を通り越してかなり退屈するものが多いのは、説明のためにある映像や台詞が長くなったからでしょう。「東京物語」などは決して退屈はしませんが、それは観せるため聴かせるための映像や台詞で作品が満たされているからです。

     

     このように作風によって感じ方も変ってきますが、映写時間 90分以上というのは今の感覚からすると短く、「さ程深くない感銘」になるでしょう。小津の作品でもカラー最短の「お早よう」がこれに当てはまり、二時間を超えるものが目立つようになります。また範囲が 15分というのも狭いので 25分に広げて 105分から 130分くらいが妥当ではないでしょうか。

     

     に小津のトーキー 19本の映写時間を示します(*は小津指摘の 90分から 105分、+が 105分から 130分の映写時間のものを表す)。

     

     

     トーキーの映写時間:

     

       
    1. 「一人息子」………………83分
    2. 「淑女は何を忘れたか」…71分
    3. 「戸田家の兄妹」………105分*+
    4. 「父ありき」………………87分
    5. 「長屋紳士録」……………71分
    6. 「風の中の牝鷄」…………84分
    7. 「晩春」…………………108分+
    8. 「宗方姉妹」……………112分+
    9. 「麦秋」…………………125分+
    10. 「お茶漬の味」…………116分+
    11. 「東京物語」……………136分
    12. 「早春」…………………144分
    13. 「東京暮色」……………140分
    14. 「彼岸花」………………118分+
    15. 「お早よう」………………94分*
    16. 「浮草」…………………119分+
    17. 「秋日和」………………128分+
    18. 「小早川家の秋」………103分*
    19. 「秋刀魚の味」…………113分+

     

     

    「東京物語」とそれに続く「早春」「東京暮色」の三本は集中して他を抜いて長い作品ですが、小津は「東京物語」の成功で長さにも自信を持ち、それまでに馴染みのないテーマを扱う意欲作を撮っていったのではないでしょうか。しかし結果を出せなかったので、映写時間も再び二時間程度のものに収まったのだと思われます。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆小津の演出(5)−ホーム・ドラマの元祖

    • 2018.04.01 Sunday
    • 08:46

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    ホーム・ドラマの元祖 【参考文献】

     

     

     

     津映画はホーム・ドラマの元祖と言われていますが、純粋にホーム・ドラマといえるのはサイレントにはあまりなく、「生れてはみたけれど」「東京の合唱」「母を恋はずや」、このくらいでしょうか。それ以外は学生ものなどの若者の集団を描くものが多く、その家庭を描いた場面は殆どあまりません。夫婦だけの作品なら「引越し夫婦」「大学は出たけれど」「会社員生活」その他と、数はあるのですが子供のいないものはホーム・ドラマとは言えないでしょう。また一連の喜八ものは人情話です。これらのことから、サイレントで短い家庭の場面を様々に描いていった小津は、結果的にトーキーになってからのホーム・ドラマの習作を行っていたことになります。小津のホーム・ドラマといえば戦後の「晩春」以降の作品が話題に上ることが多いのですが、ここの処を良くみてみましょう。

     

     に挙げるのは昭和十五年に中国戦線から帰還して「彼氏南京へ行く」の脚本を書き上げたときの小津の言葉です(題名は後に「お茶漬の味」と改められたが、検閲のため製作できなかった)。

     

     

    「帰って来てから外国映画を随分見ましたが、米国映画からはもう殆ど摂取するものはないと思います。敢て学ぶ点といえば技術的な面でキャメラ技術なんかじゃないでしょうか……(米国映画のある作品について)伏線の張り方とか盛りあげ方とか実にそつがなくて巧い。まるで歯車が噛み合う様に正確そのものです。それだけにもう古いという感じが強い……(米国のスペクタル映画について)そうした種類のものに莫大もない金を使っているのをみると私が製作者であるせいか、馬鹿々々しいという気にもなります」(彼氏映画を語る◆

     

     

    この時点で小津は自身の方向性をはっきり見定めていたといえるでしょう。事実、学生ものは最後のサイレント作品「大学よいとこ」で終わり、人情話である喜八ものも戦後第一作の「長屋紳士録」までです。米映画かぶれの作品はエルンスト・ルビッチの作風を真似た出征前の「淑女は何を忘れたか」が最後となりました。

     

     の発言と同じころ、小津は旧作「生れてはみたけれど」「一人息子」を例にあげ、これらの作品が持つ悲観的なテーマを否定し、自信を持ち、生き甲斐を感じることができる作品を目指すと宣言しています(さあ帰還第一作だ!◆法さらに次作である「戸田家の兄妹」の製作時には、「いつも仕事を上げると、当分は仕事が厭になるのだが、今度は仕事をやっていて調子がわかって来た時分に仕事が終ってしまったので、次の仕事に早くかかりたい。何か早く撮りたい。これは今までないことだね」(「戸田家の兄妹」検討◆砲判劼戮討い泙垢、これは作者としてかなり自信のある発言といえるでしょう。

     

     ーキーになってから終戦までに小津は、「一人息子」「淑女は何を忘れたか」「戸田家の兄妹」「父ありき」計四本の映画を撮っており、これらはすべてホーム・ドラマです。さらに最後の二作では母性愛と父性愛を描いたので次は兄弟愛を描きたい、とも言っています(たのしく面白い映画を作れ◆法これは時局とその後に来る敗戦の影響もあって実現できなかったのですが、ここまでの経緯から、トーキー第一作からおよそ七年間で製作された上記四本の作品によって、小津のホーム・ドラマの基盤が出来上がったとみていいでしょう。これは三十二歳から三十八歳までの、いわば彼が一番脂の乗っていた時代でした。つまり小津は、他の監督が戦争物や時代劇を盛んに作り上げていたその戦時下に、ホーム・ドラマの元祖になっていたのです。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆小津の演出(4)−海ゆかば

    • 2018.03.30 Friday
    • 05:10

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    海ゆかば 【参考文献】


     

     画監督の田中康義は、小津映画「父ありき」には終戦後になってから、GHQの圧力によりカットされて、今では観られなくなった処が二ヵ所あると指摘します(㉗第三集 受難の『父ありき』)。その一つである詩吟は、同窓会の場面で平田(坂本武)が歌うはずだった藤田東湖、幕末の勤皇の歌を、撮影時に堀川(笠智衆)による広瀬武夫、日露戦争の軍神のそれに代えたという、同じ題名の「生気歌」(ややこしいですが、詩吟はこういうものが多いのでしょうか)。もう一つは最後に流れる軍歌「海ゆかば」。

     

    ここで参考のため当時の検閲の元となった、昭和十五年八月に当局から映画会社に送られたという文章を挙げておきます(戦争体験―「お茶漬の味」初稿)。

     

     

     一、当局の望むものは健全な娯楽映画で、積極性あるテーマを希望する。

     一、喜劇俳優、漫才等の出演は、現在は制限せぬが、目にあまる場合は制限する。

     一、小市民映画、個人の幸福のみを描くもの、富豪の生活を扱ったもの、女性の喫煙、

       カフェーに於ける飲酒場面、外国かぶれの言語、軽佻浮薄な動作等は一切禁止する。

     一、生産部門、特に農村の生活を扱った映画の多く製作されることは望ましい。

     一、シナリオの事前検閲を厳重に実施し、前各項に反する場合ありと認めた場合は、

       何回でも訂正を命ずる。

     

     

    小津はこの映画の脚本を昭和十二年の出征前に書き上げていましたが、それを差し置いて帰還第一作として、夫が出征する「お茶漬の味」の脚本を書きました。これは時局を意識してのことですが、その題名は「彼氏南京へ行く」だったのが、「彼氏」が検閲で不都合とされたので改めて、さらに有閑マダムの描写もしくは、出征前夜に夫婦でお茶漬けをすする場面が、それにひっかかってしまい映画を製作できなくなったとのこと(前者が本当の理由のようですが、そのため戦後になって夫の出征を海外出張に変えて作り直しています)。次に安全策として母性愛をテーマにした「戸田家の兄妹」を撮ったのですが、ここではそのテーマを強調するあまり、兄が妹に手を上げてしまいます(検閲で怒られた『お茶漬け』)。

     

     して満を持しての「父ありき」。太平洋戦争も前年に始まり徹底的に軍国主義、国粋主義におもねりました。不自然を承知でいれた軍神の歌と玉砕をあおる歌。ストーリーは父親に厳しく育てられる子を描きます。この作品は戦時下の国民映画として作られたのですが、その他の作家によるものには「元禄忠臣蔵」「川中島合戦」「大村益次郎」「将軍と参謀と兵」の四本があり、すべて戦争物か時代劇でした(「父ありき」飯島正)。

     

    しかしそこは小津映画、嫌いなものは撮らない、譲れない。主な舞台は軍国主義の色が出てしまうような場所を避けるために、「生産部門、特に農村の生活を扱った映画」を表向きの理由として田舎を選びます。首都圏を映す時は工場敷地内やその関連ビル、碁会所あるいは父の旧友宅もしくは自宅、宴会場と数こそ多いのですが市街は絶対に撮らない。したがって兵隊も出て来ません。

     

    ところで現在の視点から見ると、この父と息子良平(佐野周二)が別れてから最後まで、一緒に暮らすことが出来なかったというのはかなり無理があります。良平と平田の娘ふみ子(水戸光子)との突然の結婚も話が飛んでいる感じです。旧稿には父が良平の転職を非難する場面はなく、逆に良平が父と暮らせるように田舎での就職を断って東京で浪人生活を送り、就職できない息子を父親が慰めるという設定だったようです。さらに平田の家族らとハイキングをする挿話などもあったのですが、小津は検閲を考慮してそれらを全て削除してしまいました(⊆作を語る 注37、‐津監督に物を聴く対談 注45―6)。

     

     のように「父ありき」は終戦前後に内と外からその多くを改変、改ざんされてしまったのですが、その他にも短い台詞の追加、修正など細かな変更が目立ちます。脚本にあまり時間をかけなかったのか、それらには演出時に気づいて変えたと思われるものが多数あります。例えば冒頭にある朝の外出の場面。父が子に近づいてから、父「いいか」、子「うん」、父「忘れもんないか」追加/子の忘れ物は工作に使う切出しを何処かへ取りに行くのを、机の上にある算盤に変更/父が子の身だしなみを整えながら「だらしがないぞ」追加/子の算術の答えに、父「うん、よろし」追加。

     

    さらに次に挙げるものが全て脚本にはありません。釣りの支度をしている父と子に和尚(西村青児−「生まれてはみたけれど」の担任教師)が言う「まあ、父さんも良平も、明日はわしに遠慮せんとうんと取ってきてくれ。引導はもうとうに渡してあるんじゃが、ここらの鮠はなかなかすばしこいで」(21:51)/父と寄宿舎に住む息子の面会場面の最後にある父の台詞「おい良平、こっちへおいで。おい」「泣いちゃおかしいぞ、男の子が。男の子は泣かんもんだ」(31:11)/息子が成人してからの塩原温泉での父の昔話「まだ、母さんのいる時分だった。お前まだ生まれてなかったかな」「そうですか」(46:04)。

     

     下に時代の影響と思われる、その他の脚本と映像との違いを16まで挙げます。

     

       
    1. (16 箱根の旅館 一室)修学旅行での、生徒の事故死の後にある葬儀の場面は、その亡骸や浴衣姿の生徒などの幾つかがない(09:36)

    2. (同上)父兄からの電報を受け取った教師が、堀川に渡して彼がそれを読む場面がない(10:13)

    3. (17 中学校の教室)修学旅行後の授業風景に、漢文「赤壁之戦」の朗読があるため丸ごとカットされている(10:41)

    4. (20 汽車の中)上田に向かう車中で父の最後の台詞「おい、あれが川中島だ」を「ああ、お前爪切ってくるの忘れたな」に変更(13:54)。川中島の風景を撮れなかったのか

    5. (26 田舎寺の縁先)父親が和尚と障子貼りをする場面(18:38)は、脚本では二人が囲碁を打って、石を取られた和尚は「坊主まるもうけか」などと冗談を言う。これは後の碁会所の伏線の積りだったのを、修学旅行でもやっているので三回はくどいと思ったのか。あるいは和尚が囲碁をやるのは可笑しいとの指摘があったか。この変更により和尚の天候についての台詞は、囲碁を打ち終ってから、和尚の「もう役場の方はなれたかね」の前にあったのを、父のものに変えて最後に移している

    6. (35 工場の職員食堂)最後の同僚との会話だけを残して屋外に変更し、その前に工場内の場面を追加(32:05)。これは職員達の野球についての会話に、シュート、スパイクと敵国の語があるためか。その前の交通機関の運賃の値上げをぼやくような話も問題があったのか。または生産現場を優先して食堂を止めたか

    7. (49-50 平田家別室と一室)平田の息子清一が、姉ふみ子に小遣いをねだる理由「漫画見に行くんだよ」をニュースに変更。父に言う外出の理由も同じ(37:40, 38:12)

    8. (56 黒磯駅のホーム)父と息子が駅ホームで落ち合う場面をなくし、台詞の一部を後の塩原温泉での入浴場面に移動(44:34)。ロケの問題か。しかし入浴時に移した次の台詞は今さら不自然な感あり

       

      「どうも途中で逢う約束が大分私の方に近かったな」

      「いいえ、混みませんでしたか」

      「ああ、いい塩梅に坐れた」

       

    9. (61 塩原 温泉宿の部屋)父の台詞「すぐだ。楽しみにしているぞ」の前にある父子の台詞をカット(53:55)

       

      「今度はお前の兵隊検査の時だな、逢えるのは」

      「そうですねえ」

      「なあに、また」

       

    10. (63 会社の応接室)堀川と成人した教え子黒川(佐分利信)、内田(日守新一)との面会で、黒川が平田と会ったという場所を銀座から京橋に変更(57:27)

    11. (同上)内田が良平の年をたずねて、堀川「二十五になりましたよ」の後にある「徴兵検査のついでに東京へ出て来ますもんで」以降を全てカットして、この場面を突然に終る(58:52)

    12. (66 堀川家の一室)父と成人した息子の対面で父「で、どうだった検査は」の後にある以下をカット(59:47)。このため父の姿勢がいきなり変ってしまう

       

      「甲種でした」

      「そうか、それは良かった」

      堀川ぴたりと坐って(あぐらから正座に)、

      「おめでとう」

       

    13. (同上)最後の「ええ、縁側から落ちて」の後をカット(1:01:57)

       

      「うん、小学校へ入る前の年だったかなあ」

      「ええ」

      「いや、よかった、『今日よりは顧みなくて大君の醜の御盾と出で立つ我は』だ。しっかりやんなさい」

      「ええ」

       

    14. (69 大川端の料亭)同窓会での内田の司会で、以下の彼と堀川の台詞をカット(1:06:07)

       

      「え、それから木下君、前田君、村松君は目下応召中、それぞれ、盛んに活躍されております」

      「では、まずお三方の武運長久を、お祈りいたしまして、杯をあげたいと思います」

       

    15. (同上)平田の挨拶の後半、「それから、ついでと申し上げては失礼でございますが……」と堀川の息子良平の近況である徴兵検査甲種合格を報告し、その後堀川の息子を皆で祝う場面をカット(1:07:47)

       

      「先生、お目出とうございます」

      「おめでとう存じます」

      黒川「では、堀川先生の御子息のために乾杯いたします……おめでとうございます」

      堀川「皆さん、ありがとう! せがれも喜ぶでしょう。よく申し伝えます。ありがとう!」

       

    16. (同上)同窓会最後の平田による詩吟を堀川に変更。このため送別会でも送る平田ではなく、送られる堀川が詩吟を歌ったことになり不自然だが、実演はカットして、この場面も突然に終る(1:10:36, 1:11:19)

       

     

     

    同じ戦時下であることが表されるものでも、以下の舎監室での教師になった息子と生徒の会話は残っています(42:36)。生徒に「うん、だめだ」の台詞がり、戦勝国が優越感に浸れるからか。

     

     

     「兄さんは戦争へ行っておられるんだったな」

     「ああ」

     「お達者か」

     「うん、だめだ」

     「兄さんがおられんので家で困ってやしないか」

     「困ってねえす、近所の人がよくやってくれるから、そんなことねえっす」

     

     

     中眞澄によると、小津トーキー初期の四本はどれもカットされた処があり、「淑女は何を忘れたか」では「軍艦マーチを使った場面転換の処(シーン18から19)と、それに続く岡田の下宿の場面(シーン19)がカットされている」とのこと(映画と文学 注26)。それは後の光子(吉川満子)の台詞、「でもあの軍艦マーチって、そんな男じゃなさそうだけどねえ」(49:04)に対応するものだったからだと思われます。ここでいきなり軍艦マーチは不自然です。

     

    脚本でこれに相当するのは「13 本郷あたりの学生下宿 大成館―日の丸の旗が立っている。」「14 岡田の部屋」になります(25:12)。番号が19、14と異るので、ここまでに五つのシーンがカットされているのでしょうか。しかし、この場面自体はカットされておらず、かわりにBGMがオリジナルの優しい曲になっているため日の丸とは合いません。

     

     れらの作品には、やはり他にも飛んでいる場面があり、例えば「一人息子」では母おつねの「市役所だって、聞いてただが」の前(21:48)。脚本では「31 台所」、

     

     

     良助「母ッかさん、ちょっと出掛けますがね――来ていただいてすぐ出掛けるなんてなんですけど――この頃、神田の学校で夜学の先生をしているもんですから――」

     おつね(訝かしそうに)「そうだか――市役所だって、聞いてただが――」

     

     

    とつながり何の問題も無さそうですが、もしあるとするなら「来ていただいてすぐ出掛けるなんて」がそれか。あるいは神田の地名がまずいのでしょうか。「父ありき」には息子が神田の古本屋に出掛けるという台詞があるのですが。

     

    「戸田家の兄妹」では法事後の会食で、次男昌二郎(佐分利信)が妹綾子(坪内美子)にびんたを浴びせたらしいですが、終戦後カットされたので残念ながら今は観ることができません。そこで脚本を読むと「83 座敷」で、

     

     

    雨宮「そんな失礼な……」

    昌二郎「何が失礼だ!(いきなり雨宮の頬に平手打ちが飛ぶ)……きみは帰ってよろしい」

    雨宮「しかし……」

    昌二郎「しかし帰ってよろしい! ……綾子一寸此処へ来い」

    綾子、来て坐りかける。

    いきなり頬を打ち、

    昌二郎「よし、お前も一緒に帰れ!」

     

     

    実際の映像では「綾子、来て坐りかける」に相当する処でコマがとびます(1:33:45)。雨宮の方は切れていないので手は出していないようですが、構想は練ったものの二人同時では演出が難しいから諦めたのか。封切り後の座談会「 惴妖腸箸侶史紂抔‘ぁ廚砲癲津村「既に現在は他人の女房になっている女を近衛敏明の配偶者の前で、ヒッパタクのはひどい」、小津「初めの予定ではもう一人、雨宮を殴る積りでした」、とあるので綾子の方は確実です。

     

    「父ありき」では、教師になった息子が授業で火薬の原理を説明します(39:33)。戦時中の映画なのでそれらしく演出したのでしょうが、そのためだけに調べたのだとすると少し不自然です。小津は中国戦線から帰還して間もなく、「自分で戦争物を作る時はもっと火薬の研究をし、サウンド・エフェクトなども日本式、チェコ式、水冷式の機銃は勿論迫撃砲その他は音に特色もあり違ってくるから、そこまでゆかないといけない」(悲壮の根本に明るさを盛り込んだ戦争物)と言っています。結局彼は、後にも先にも戦争映画を作らなかったのですが、調べた資料はここで流用したのでしょう。

     

    旧稿では斎藤達雄を父親役に予定していたようですが(ー作を語る 注14)、これは父の役柄を変えてしまったので斎藤では合わないとみて、「一人息子」で小津からも認められていた笠を抜擢したものと思われます(ー作を語る)。実際に「淑女は何を忘れたか」のドクトルとその助手であった斎藤、佐野の二人を想像すると、この親子では違和感があります。しかし本編では、息子役の佐野周二が、年の近い七つ違いの笠を「お父さん」と呼ぶのには抵抗があり、「気持ち悪かった」とのこと。

     

     跡での撮影は、監督の子役への演技指導がやたら恐そう。目もとが般若面です(㉘第三集の開いたケース左下の写真)。隣にいる父親役の笠智衆も「なにやってんだこの坊主、ちゃんと監督の言うことを聞きなよ」とでも言いたそうな表情をしています。これじゃあ子供は嫌がります、役者を一回で止めたというのも無理はない。しかし十年後に小津がこの作品について「息子をやった津田少年は今どうしてるかな、一度会いたいと思っている」と述べると(⊆作を語る)、その翌年には子役だった津田晴彦が「東京物語」の撮影現場を訪れたとのこと(ぁ嵒磴△蠅」を振り返って)。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)