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    ◆アンチ小津(4)−身内と他人

    • 2018.05.09 Wednesday
    • 11:07

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    身内と他人 【参考文献】

     

     

     

    「風の中の牝鷄」と「彼岸花」は夫婦と親子、シリアスとコメディーなど作風の全く違う作品ですが、テーマに関わる共通点があります。それは他人の抱える問題と身内が抱える同様の問題に対して、それらの受け止め方が異なるということ。「彼岸花」の方は「◆小津と漱石(4)−個人主義と矛盾B53 矛盾−評価する人の都合」での見方を変えたものですが、これも矛盾になります。「風の中の牝鷄」も同様ですが、それを示すのに無理(更なる矛盾)があるため「◆小津と漱石」には入れてありません。

     

    ところで、この性質のものは漱石には無いようです。もしあったとしてもテーマから外れる挿話的な内容でしょう。漱石は全くの個人主義、副主人公はせいぜい狂言廻し程度に扱われています。「明暗」は妻と妹の心理が描かれていますが、主人公の優位は変わりません。小津の映画は主人公と他の人物との関わりがテーマになっています。少なくともトーキーの作品はそう言えます。

     

     を戻します。「風の中の牝鷄」の夫雨宮修一(佐野周二)は妻時子(田中絹代)の過ちを理屈では分かっていながら、なかなか許せないでいますが、最後には自分の暴力が元であっさり和解してしまい、これは芝居として納得できません。彼がそれまでの自身の行いや、ここでの暴力を反省したということなのか。それにしては善導者のような態度です。「彼岸花」の父平山渉(佐分利信)は最後までくすぶってはいても、知り合いの娘佐々木幸子(山本富士子)の仲裁により娘節子(有馬稲子)の結婚を許し、こちらは納得できます。

     

    この二つをシリアスとコメディーの違いだとは言いきれません。他のシリアス作品「東京の合唱」では(初めの方は伏線があることを除いて、どうでもいいようなコメディーですが)正職を失った夫(岡田時彦)が子供の病気を治すために衣類を質に入れてしまい、それに気づいた妻(八雲恵美子)が更に夫の哀れな言動によって、屈辱的と思われた彼の恩師が経営するカレー屋での夫のアルバイトを認めます(1:17:38)。「早春」では仲人の小野寺(笠智衆)から受け取った仲裁の手紙で、妻(淡島千景)が夫(池部良)の浮気を許します(2:20:40)。どちらも納得できる芝居です。

     

    「牝鷄」の夫修一は妻の時子を階段から突き落とした後(1:14:50)、「大丈夫か」と声を掛けて階段の途中まで下りて行きながら、家主の酒井つね(高松栄子)が帰って来たので彼女に気づかれないように部屋に引っ込んでしまいます(これは小津の演出の基本、受ける処は何でもなくやらせる、であると思われる)。この時妻は、夫が己の体裁を優先して自分を見捨てたと判断したはずです。これで良く和解できたもの。

     

    夫が自分では解決できないので、「東京の合唱」や「早春」のように相手(ここでは妻)または第三者の言動によって、それを実現するのが正当です。しかしこの作品では夫が事前に同僚(笠智衆)に忠告されても(1:10:09)、たび重なる妻の願いがあっても彼女と和解しようとしません。それは原案といわれる志賀直哉「暗夜行路」に引きずられたのか、過激にやることに固執してしまい芝居が崩れてしまったからなのでしょう。

     

     談ですが、最近の黒沢清映画「トウキョウソナタ」も、「風の中の牝鷄」のように階段から人が落ちて行く衝撃的な場面がありますが、作品全体は小津のサイレント「東京の合唱」を真似ています。題名とそれを表わす音楽、夫の失業、彼のアルバイト姿を子供が発見するが妻はそれを否定する等。

     

    しかし「東京の合唱」は同窓会メンバーで学生時代の寮歌を合唱して終りますが、「トウキョウソナタ」で最後に子供の弾くピアノ曲は、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」の第三曲「月の光」でありソナタではない。これは「ソナタみたいな作品」という意味でしょうか。小津の「秋刀魚の味」にも秋刀魚は出ませんが、題名の意味するところは、秋刀魚の味がする作品であり(´爛好肇薀ぅ投げる甅爐匹海了1峠蠅眛韻犬性瓠法△海舛蕕睚未竜、 はも が出て来ます。「トウキョウソナタ」は「秋刀魚の味」にも似ています。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆アンチ小津(3)−過激な演出

    • 2018.05.06 Sunday
    • 10:15

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    過激な演出 【参考文献】

     

     

     

     小津は芝居が臭くなるような過度の演出を嫌ったのですが、過激な演出は大好きです。「青春の夢いまいづこ」では仲間の一人を他の三人が囲み、その内の一人、親分格の男が囲まれた男の頬をひたすらひっぱたく(1:19:12)。実に四十四発、まるで集団リンチです。「宗方姉妹」でも夫が妻の頬を七(四の後、ひと息いれて三)発叩いています(1:24:50)。この場面などは迫力満点(山村聰の演技がとても上手)で殺意さえ感じます。「早春」「東京暮色」では女でありながら男の頬を三発叩いた後、駄目押しの一発(2:02:50, 1:52:04)。やり方が同じなのは、それが女にとって理想の型ということか。「浮草」の駒十郎は女二人に対して殴る蹴るの暴行を働く。沢山あるので(スチール写真にまで)個々の位置ははぶきますが、その中でも後ろから蹴飛ばすのは卑怯です(なので、ここだけ 1:22:04)。

     

    「戸田家の兄妹」でも、脚本では次男昌二郎(佐分利信)が妹綾子(坪内美子)にびんたを浴びせます(「◆小津の演出(4)−海ゆかば」参照)。何発か分りませんが、他の作品通りだとすると一発では済まなかったのではないか。妹に対して「宗方姉妹」並にやっていたとしたら、向こうは女性を尊重するお国柄、そりゃ不味いでしょう、カットしますよ無理もない。「淑女は何を忘れたか」でも夫が妻にぴしゃりとやりますが、ここはカットされずに生き残っています(57:50)。一発で済ましているからか。それとも彼らにも身に覚えがあるだろうと推し量ったからなのでしょうか。

     

    「戸田家の兄妹」は戦時中の母性愛を描いた作品ですが、それを強調するあまり妹に手を上げることとなります。しかしこの妹も間もなく母親になるでしょうに。母性愛も母を思う心も本能、これを理屈でごり押しするから可笑しなことになります。前年の戦場談には、「時に見ることであるが、十四、五歳のいとけない(支那人の)少年が、銃を手にして戦死していることだ。恐らく、この少年らは、抗日の如何なるを知らず、誤れる意識の下に浅慮の抗戦を続けたのだろう。まだ青年にならぬかかる少年をも前戦に繰り出している支那軍を、全く、人類の敵! と憎む」とあります(‐津安二郎戦場談)。戦時中のこととはいえ、これもかなりずれている話です。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆アンチ小津(2)−悲しみのドラマ

    • 2018.05.04 Friday
    • 10:56

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    悲しみのドラマ 【参考文献】

     

     

     

    「メロドラマは苦手だ。メロドラマは自分より哀れな境遇の人を見て流す涙は楽しいということが根本になっている。だから出てくる人間は無知な常識はずれが多いし、事件にも不自然さがなくてはならない。これはダメだ。たとえ涙をねらっても催涙的でなく、自然なものを求めたい」(⊂津安二郎芸談)

     

     

     上は「東京物語」前年の小津の言葉ですが、実際は彼もメロドラマでいい作品を作りたかったようなので、これは負け惜しみ。なお小津のメロドラマの定義は「観客を泣かせるドラマ」であり、「東京物語」などもメロドラマと呼んでいるので相応しくなく(「◆小津の文法(1)−会話」参照)、以後はこのような作品を除いて泣かせるドラマと悲劇のどちらも、メロドラマに代えて悲しみのドラマと呼ぶことにします。ここでの小津は悲しみのドラマは二流というような発言ですが、このようなドラマにも良く出来ているものはあります。二流以下が圧倒的に多いだけ(つまり、これがメロドラマ)。五年後の「東京暮色」は彼の指摘通りの、出てくる人間は無知な常識はずれが多く、事件に不自然さのある作品です。

     

     ホーム・ドラマの要は、トルストイの「アンナ・カレーニナ」冒頭の「幸福な家庭はどこも同じようなもので不幸な家庭はその趣がことなる」で言い表されています。幸福な家庭は何も説明する必要がない、ただ幸せなさまを表現すれば良い。しかし不幸な家庭は、なぜ不幸なのか説明しなければ理解できない。その方法によりピンからキリまで差がでるわけですが、小津の悲しみのドラマには説明そのものが決定的に欠けています。「東京暮色」は「暮色」の示す通り、激しい表現は不要ということらしいですが、説明がいらないという訳にはいかないでしょう。この映画で母親の失踪の理由について触れているのは姉の孝子(原節子)が妹明子(有馬稲子)に話す、

     

     

    「お父さんの留守中、山崎って云う下役の人がよくうちい来て、いろいろ世話してくれてたのよ。背の高い面白い人で、あたしもあんたも、とてもその人好きだったの。私も子供でよく分んなかったけど、そんなこともいけなかったのかも知れないわ」(1:36:46)

     

     

    たったこれだけ。「そんなことも」なら他にどんなことが在ったのか。おそらく父親にも非はあったでしょう。完全無欠な人はいない。それを母親の喜久子(山田五十鈴)が必要以上に責めて「悪いのは父親だ」くらいに言ったのかも知れない。普段は温厚な父周吉(笠智衆)がそれを知って激昂する等々。このあたりのドロドロした関係については全く触れていないので、母親が一人で酒場にいる光景などはいささかの同情心も湧いて来ません(2:02:50)。「この人、一体どういうつもり」と訝しい。

     

    「東京暮色」には脚本家野田の書いたもので、小津が撮らなかった場面があるようですが、それらしい処は見当たらないので、本編にないものとして製本で削除されたのか、あるいは野田が小津に断りなく台本に直書きして、それを載せなかったのか(㉕東京暮色)。作品と脚本の食い違いは他にいくつもあるので、後者である可能性が高い。もしそうだとすると、小津がそのとき激昂したというのも理解できますが。何れにしても、解説には「小津さんはよく、芝居を推し切らないで余白を残すと云ったが、この場合は余白ではなく、明らかに芝居が不足なのだ」とあり、この後どの場面が該当するのかいくつか提示されているのですが、特にS88 での母親が蒸発したことの説明が不足しているのでしょう。それは前記の孝子の台詞、「お父さんの留守中、……」に当たります。

     

     

     野田―過激な表現は避けたい

     小津―激しさを表に出したい

     

     

     これは同じ解説にある野田の娘山内玲子の証言から抜粋、要約したものですが、小津は悲しみのドラマには過激な表現が必要と思っていたらしい。しかし、それでは自身が主張していた「芝居を推し切らないで余白を残す」ことに反するように思えますが、小津にとって「芝居を推し切らない」の意味は「余計な説明は要らない」であり、それは悲しみのドラマでなければ巧くいきました。野田の方は悲しみのドラマでは説明すべき処は説明しなければならないと思っていたのでしょう。その場面を入れたところが、小津は怒気を露にしてこれを撮らなかったといいます(戦後―痛苦の風景)。それが前記S88 母親の家出に対する説明の補足だったのではなかったか。

     

     は何故、芝居を推し切らないで余白を残すのか。おそらく彼の作品中、最強の悲しみのドラマであった「美人哀愁」について、小津は「映画が判らなくなって来てね。ともかくこんなところにはまり込んでしまっては駄目だと気がついた」(⊆作を語る)と語っています。フィルムが現存しないため脚本を読んだのですが、作者の意図はヒロインの芳江(井上雪子)の美しさを強調するために思いついたとみられる、彼女の彫像を床に投げ落として粉々にする場面を物語の頂点とすることにあったのです。そのため芳江の夫は友人と二人して、まるでおもちゃを取り合う幼い兄弟のように、亡き妻の彫像を奪い合う始末。この映画は作者の思い入れがたっぷりと全編を貫いている、男二人がヒロインにめろめろのメロドラマ。小津はこの失敗により、悲しみのドラマに対して強い警戒心を抱いてしまったのです。

     

     この作品に制作時期が近く、雰囲気も似ているものに「青春の夢いまいづこ」があります。これは「美人哀愁」の翌年の作品ですが、その違いは「過度の説明」と「説明せずに見せる」です。見せるとは激しさを表に出すこと、つまり暴力。ここでは友情の証として、現実にはとても有り得ないことですが、びんた四十四連発。その後、小津の悲しみのドラマはこの路線に行ってしまいました。

     以上のことから野田と小津の見解は次のようになります。

     

     

     野田―過激な表現は避けたいが、必要ならば説明すべき

     小津―激しさを表に出したいが、余計な説明は要らない

     

     

    「東京暮色」の妹明子は麻雀荘の主人について「あたしね、お姉さん。何となしにお母さんじゃないかって気がしたの」と語りますが、まるで他人事のようです(41:02)。後に彼女は姉の孝子が麻雀荘に行ったことを知ると急に苛立ち始めます。そして姉からそこの主人が母親だと教えられると、明子はその失踪の理由を訊き出すのですが、それがはっきりしないまま、なぜか彼女は自分には母の汚い血だけが流れていると決めつけ、彼女に似ていない周吉が実父ではないと言い始める(1:35:06)。ついにその真相を母親にまで問い詰めるのですが(1:42:38)、ここでは、先に自分たちを見捨てた理由を聞き出そうとするのが自然でしょう。

     

     津は父親の周吉について「(妻の失踪を)年代的に処理して、今では女房のことを聞いてもあまり動揺しない。自分で気持ちをおちつけた。……あの主人公はそう驚けなくなっているんだ」と言っています(⊆鬚聾鼎い曚斌がよい)。しかしこれは娘を亡くす前のはなし。物語の終わり近くでは、周吉が孝子に「お前、行ってやらないのかい……お父さんに気兼ねはしなくていい」などと、東京を去る母親を見送りに行くことを勧めるのですが(2:13:27)、数日前に、もう一人の娘を亡くした父親の言葉としては相応しくない。ここは説明が足りないのではなく筋違いです。

     

     小津は「麦秋」をかなり苦心して作ったと言っていますが(⊆作を語る)、「東京暮色」はその「麦秋」よりも力を入れて、さらに評価の高い「東京物語」よりもいい結果を出したいと思っていたのではないか。ここで再び「美人哀愁」についての小津の言葉、

     

     

    「力を入れた『お嬢さん』より、簡単に撮った『淑女と髯』の方がいい、そしてムキになったこれ(美人哀愁)が一番いけない」(⊆作を語る)

     

     

    これはサイレント「美人哀愁」までの三作についての感想ですが、トーキーにおいては、

     

     

    「力を入れた『麦秋』より、簡単に撮った『東京物語』の方がいい、そしてムキになったこれ(東京暮色)が一番いけない」

     

     

    と言い変えられます。「東京暮色」の失敗は、サイレント時代の二の舞となってしまったのです。

     この映画の製作時に、小津は「正調の大船調」を表現したいと言っていたのですが(▲疋薀泪謄ックな『東京暮色』、一年ぶり小津監督の『東京暮色』撮影へ)、完成後には出来栄えを考慮して「必ずしもこの作品が大船調だっていうわけじゃない」と逃げを打ちます(⊂播世録討琉情)。しかし彼はいつかは悲しみのドラマを成功させたいと思っていたはずで、「この次に撮る作品も、やはりドラマティックなものにする予定です」とも言っています(同上)。もし小津の活躍がまだまだ続いていたなら、やはりこれに再挑戦していったことでしょう。

     

     悲しみのドラマはテーマに繋がる事件などの構想が先きにあって(説明的なため)、それを具体的に表現していくもの。しかし小津の場合は、先ず悲しみのドラマを作りたいという思いがあって、それを作品のなかに表していきました。「東京暮色」では父親の心情であり、不幸に繋がる事件などは悪い奴のすることなので眼中にない。彼は悲劇を作るには優し過ぎた、幸せ過ぎたのです。小津自身も言っていることですが、作家は体験したものでなければ描けないとは限りません。しかし未体験でも必ず表現できるというわけでもなく、彼には悲しみのドラマを作る資質がなかったのです。

     

     劇的な内容でなくても小津映画には説明不足、もしくは理解不能と思われることが度々あります。「早春」の浮気相手の千代(岸恵子)は事前に杉山(池部良)の頬にびんた四発(2:02:50)の後、あっさり仲直りの握手(2:15:01)をしますが、この心境の変化は何処から来たのか。男をひっぱたいて、せいせいしたのか。暴力はいけなかったと反省はしたものの、気恥ずかしいので謝ることはせずに、一歩譲って和解を求めたのか。しかしこの言動も、送別会の場ではかなり恥ずかしい。

    「秋日和」のアヤ子(司葉子)と友人百合子(岡田茉莉子)の会話では(1:27:04)、

     

     

    「じゃ、こんな時あんた平気」

    「平気よ、お母さんはお母さんでいいじゃないの(再婚しても)」

    「人のことだと思って」

    「ううん、違う。あたし、今のお母さん来た時、平気だった。だからって死んだお母さんのこと忘れてるわけじゃないわよ。今だって目えつぶればお母さんの顔はっきり浮いてくるわ。うちのお父さんだらしない人よ。でも、そりゃあそれでいいじゃない。お父さんは、お父さんなんだから」

     

     

    ここで「だらしない」というのは父親が再婚したからという意味にとれます。ならば、うちのお父さんがだらしない人のように、再婚するらしい友人のお母さんもだらしない人なのか。それでは友人が母親の再婚を「不潔」と言うのと変わりないのではないか。不潔なら不潔で構わないということになる。再婚は不潔でもだらしなくもない、とするべきではないのか。「晩春」ではそういう流れ(再婚は不潔という考えから、不潔ではないに)だったのですが。

     

     まり取沙汰されないようですが「小早川家の秋」は烏の集団で終わります(1:42:08)。最後のショットは石仏の頭に二羽の烏とその鳴き声、そして銅鑼の音一発。はっきり言って悪趣味です。これならヒッチコックの「鳥」の方がまだまし。小津映画の中で最低のショットでしょう。ここに来るまでに十分以上も火葬場を強調し、烏を話題にもします(1:30:46)。さらに煙突から白い煙が立ち上ると大のおとな五人が、まるで一大事でも起きたという態で駆け寄って眺めます(1:37:58)。この駆け寄りは主が倒れたときと回復した時にも現われますが、それらもあまり良い演出とは思えません。

     

     他社で撮ったという事情を考慮しても、同じ御大家の主の葬儀風景ならば、ちょうど二十年前に彼が三十七歳で撮った、「戸田家の兄妹」の方がよほど立派だったと思いますが。小津は「もののあわれを描くつもり、といってもあわれっぽくなく、からっとした明るい笑いの中に描くというのがねらいだ」(◆愍早川家の秋』準備は完了)と言っています。最後まで明るい笑いの中で描いて仕舞ったのでしょうか。それではまるでブラック・ユーモアではないか。だから烏なのか。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

    ◆アンチ小津(1)−アンチ「東京物語」

    • 2018.05.02 Wednesday
    • 12:12

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    アンチ「東京物語」 【参考文献】

     

     

     

    「東京物語」が小津の代表作であることに異論はありませんが、これが彼の最高傑作だというのには疑問を感じます。「小津の芸の頂点に立った作品だなどと評価されたことは、好意を示したようでいて、ぼくを買っていない言葉だと思う」と上映の年に監督自身も述べているので(⇔磴┐估ι紊稜,)、まずはその理由を考えてみます。たとえば漫画の神様、手塚治は初期の代表作「鉄腕アトム」や、不死鳥のように蘇って書き続けた「ブラック・ジャック」についての、絶大なる評価を軽く受け流して「今、こういうものを……」と近況を語るのが常でした。創造する者の立場として、これは極めて自然な態度ですが、「ぼくを買っていない」と言った小津の場合、「割に心理、複雑」です。

     

     映画「明日は来たらず」を「東京物語」の元ネタとしたのは脚本家野田の提案によりますが、小津はこれを観ていません(◆愾畚奸找談)。となると例えば執筆が行き詰ってきて、野田から「あの映画はこうだったから、ここはこうしよう」などと言われれば、あっさり「そうしようか」となったのではないか。つまり脚本家主導であったということ。脚本を重視する小津にとって、これは素直に喜べない事実だったでしょう。ちなみにサイレントの傑作「生れてはみたけれど」も、「大人の見る絵本」の副題で強調されるテーマは脚本家伏見晁、あるいは他の作家によるとのことで、小津はこの作品では撮影時の苦労話に終始して、テーマについては触れていません。

     

     掲文の少し前で小津は「関係を否定も肯定もしないで、ありのままに書いてみよう、いいとか、悪いとかでなしに親孝行しなければ……と感じてくれたなら、作者としては満足……私としては自信はもてなかったが、気に入ったところも多く好きな作品となった」と述べているので、このことから「東京物語」は強い主張もなく、あまり苦労せずに巧く出来てしまった作品といえるのではないでしょうか。創作に限らず、時として何かに導かれるように、良い結果を出せてしまうことがあるもの。小津はそれではとても頂点に立つ作品などとは言えないと考えたのではないか。そして「気に入ったところも多く好きな作品」というのは、綺麗な俯瞰が撮れたり(「◆小津の演出(8)―俯瞰」参照)、純小津調の演出が出来たからではないか(「◆変な小津映画(1)−変な「麦秋」「お茶漬の味」」「◆変な小津映画(2)−変な「早春」」参照)。

     

     の物語は小津映画の中で唯一母親が亡くなる話ですが、これが最高傑作と世に言わしめる一番の理由ではないでしょうか。父親が亡くなる話は五つあるのですが、その悲しみより遺産相続、継承問題を扱う場合が多く、こちらの方が重要なのです(後に書く「◆小津喰ふ虫(3)―多いネタ」参照)。そうでないものは「母を恋はずや」「父ありき」の二本ありますが、前者は残された母親の悲哀がテーマであり、後者もその父親より「東京物語」の母親の方が死別の悲しみが大きいのです。なお両作品で主役を務めた笠智衆は、晩年になると「東京物語」が自身の代表作と述べていましたが、小津映画が世界的に認められるまでは、それは「父ありき」であったとのこと(Υ末エッセイ)。

     

     トーリーがよく似ているらしい元ネタの「明日は来たらず」に引きずられたのか、「東京物語」は全編に渡り年寄いじめという感じがします。「麦秋」の後日談にする積りだったというこの作は(⊂津安二郎の演出)、帯に短し たすき に長しといったところ。葬式の後からラストまでは話が出来過ぎのようでもあり、なんだか説教臭い。小津の「いいとか、悪いとかでなしに親孝行しなければ……と感じてくれたなら」という気持ちが強過ぎたようです。作家の保坂和志などは「お年寄りが可哀そうで観るに耐えない」とまで言っています。駄目押しのように母親の言動が伏線だったことを暴露する処では、この作品の浅い底も見えてしまいます。

     

     姉紀子(原節子)の乗る汽車を末娘の京子(香川京子)が教室の窓から見送る場面は、当初校外の丘の上で、生徒の図画を指導している処へ、それを通過させる予定だったとのこと。もしこれが実現していたのなら、さらに異臭がプンプンとにおっていたことでしょう。それは監督が弱冠二十五歳で制作したサイレント「和製喧嘩友達」ラストでの、踏切越しに新婚夫婦を乗せた汽車を見送る場面を想起します。

     

     男の未亡人紀子は善い人だが、実はずば抜けて要領もいい。暫く酒を断って良い按配だった周吉(笠智衆)に、東京に出て来て初めて酒を御馳走したのは彼女ですが(39:51)、そうしておいて後は知らん顔。葬式後の会食で長女志げ(杉村春子)の「お父さん、あんまりお酒呑んじゃだめよ」と窘める処では(2:01:37)、自分が初めに飲ませたことを周吉が言い出しはしないかと「汗かいちゃった」のではないか。彼は紀子に「あんたは、ええ人」と言いますが(2:09:44)、酒を御馳走になったら悪くは言えない。

     

     して志げが紀子に残れと言った時、彼女は無言で従った。そこはえらい、でも計算ずくでしょう。紀子は自分を犠牲にする心はあるが、それは最悪の状況を回避してのこと。これを見ていた三男敬三(大坂志郎)が、先に自分は残って父親の面倒を看ると宣言していたのですが、ここですかさず「帰る」と前言撤回(2:00:20)。それもそのはず、兄の後家さんと日中差しでは居られない。おそらく紀子も同じように思案しており、三男が退いた時に彼女は喜んだでしょう。敬三は母親とみ(東山千栄子)に対して、生前ろくに孝行もできず、その死に目にすら会えなかったという負い目もあるので、望んでいたことなのですが。

     

     の京子は紀子に感謝しながらも仕事を続ける。私は学校の教師、教師は休めないが事務員は休んで良いでしょ、とでもいう積りなのか。「大人は嫌ね」みたような発言をしますが、彼女も人の子を教える身、みんな仕事のために帰った。京子は相手の好意によってではあっても、身内でない他人を家に停めてまで仕事を続ける。しかも留守中の事だけではなく、紀子に炊事させて自分の弁当まで作らせる(2:02:33)。「大人は嫌ね」の精神年齢は高校生なみ、持って出るのが学生鞄に見える(2:05:40)。ここの処はまるで原節子主演「青い山脈」のようです。紀子は周吉から義母の形見の時計を貰って尾道を去る。後日、それを知らない京子が母の時計の行方を父に訊ねて、「あれは紀子さんにあげたよ」などと聞いたとしても、「あの人なら、お母さんの形見あげても良い」くらいに思ったでしょうか。

     

    「東京物語」製作意図について、小津は「末娘によって私はこの作品の救いというより人間の救いを暗示させるつもりだ」(肉親愛に入れたメス)と言うのですが、「麦秋」では「ストウリイそのものより、もっと深い≪輪廻≫というか≪無常≫というか、そういうものを描きたい……出てくる子供が乱暴だという。乱暴でも世代がちがうんだし、あの子もまた大きくなればそれなりに変って行く」(⊆作を語る)などと述べており、後の作品である「東京物語」でのその発言は不可解。京子は新人類の誕生であったとでもいうのでしょうか。紀子は「麦秋」の立場をとっているのですが、おそらく京子については、無邪気な孫娘だけが老夫婦に優しかったという原作を踏襲しているのだと思われます。一般には一番優しかった紀子が「明日は」の孫娘と見なされているようですが。

     

     のように「東京物語」はかなりちぐはぐな内容です。作者が初めに言った通り自信作ではなかったのでしょう。七年後、「お茶漬の味」以後の自作についての談で、小津は「東京物語」のことは簡単にしか述べていません。たった二文だけ。いろんな処で訊かれるので、この作品について意見を言うのはいい加減うんざりというところか。内容も投げ遣りで、問答しないで済むように聞き手が期待していそうな、喜びそうなことを言っています。「そうでしょう、そうでしょう、やっぱり、そういうことなんですね」みたいな。そのため製作意図はずいぶん立派になって、「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ」( ̄撚茲量・人生の味)と発言。上映当時は「親孝行しなければ……と感じてくれたなら、作者としては満足」と言っていたのですが。

     

     2012年には、十年ごとに行われる英国「サイト・アンド・サウンド」誌の監督投票(358名)で「東京物語」が第一位に選ばれました。しかし、ここには浮動票あるいは組織票とでもいうか、みんなが挙げるだろうから私も入れた、というものがかなり含まれていたのではないか。映画監督ポール・シュレーダーはある映画ベスト・ワン投票で(同誌過去のものか)、小津の作品が選ばれることを望んで自身が一番好きな「晩春」ではなく「東京物語」に入れたとのこと(㉘第三集 小津と語る)。このように権威に押されて王様が裸でいることを言えない人たちが、他にも大勢いることでしょう。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)