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    ◆構図至上主義(2)−「東京物語」の名場面

    • 2018.02.18 Sunday
    • 12:32

     

    JUGEMテーマ:日本映画の監督

     

     

    「東京物語」の名場面 【参考文献】



    三角形の構図

    「東京物語」で母の亡骸を囲む平山家の人々は皆、画面右を向く綺麗な構図となっています(図1 1:48:16)。それは相似形に並んでいると表現されることもありますが、ここでは全ての人が同じ相似形ではなく、二人一組とする二つの型の一人ずつが交互に並びます。そして電灯を頂点とした三角形となるように、囲む四人は前傾姿勢をとっています。こちらの方が構図としての効果が高いといえるでしょう。この場面では他のショットも含めて、個々の人物が他と重ならないように配置されていることが大きな特徴であり、全体が三角形になるピースの役割を果します。

     

    「東京物語」の名場面 1
     図1

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


       また亡骸を囲むショットでは、数人の動きがあっても基本的なパターンに変化が無いともいわれますが、むしろ変化が目立たないように考慮されているとみるべきでしょう。それは、時には芝居の自然さを犠牲にしてまで行われます。この場面が終って葬式が始まるまでの間、延べ四人が部屋を出入りしながらも、彼らは構図を崩さないように振る舞っているのです。亡骸を囲む人物は合わせて五人いますが、これも構図のために、同時に映るのは三人か四人に限られます。

     

       めのショットは左から見ていくと、長男幸一(山村聰)が一番手前に、紀子(原節子)は奥、長女志げ(杉村春子)は母の手前、京子(香川京子)が一番奥へと、亡骸に近づきながらジグザグに前後していきます。全体は母に向かう配置ですが、幸一だけが離れて母と平行に座ることにより、役柄にも合った安定感を生み出しています。


       電灯を頂点とする三角形の構図は、小津映画ではお馴染みですが、ここでは前傾になることによって、それを強調しているのが分ります。しかしその傾斜は一様ではなく、左端の幸一から順に緩くなっていき、最後の京子はほぼ垂直となります。したがって相似形というのも適切ではありません。小津の作品ではよく相似形を指摘されますが、かりに正しい相似であっても、それらが納まっている全体の構図を見ることの方が重要でしょう。


       この場面では、全員が映るときは頂点が右寄りでも、その他は左寄りで、会話する人物の頭部がほとんど同じ位置になるので、視点を変えずに見ることが出来ます。このような左寄りで頭部の重なる会話は、小津のサイレント初期からの傾向です(後に書く「◆小津の文法(1)−会話」参照)。


       子が敬三(大坂志郎)を迎えに立つことにより構図は乱れますが、それが目立たないように、彼女は前傾を保ちながら部屋を出て行きます(1:49:47)。玄関では鞄を横に置いて、腰を下ろしながら靴を脱ぐ敬三の後ろ姿を見せている時と、京子が現れて、彼が振り向きざま立ち上がったときも三角形となります(1:49:54)。カメラの向きが裏庭からになると、二人に庭先の葉鶏頭が加わり三角を保ちます(1:50:08)。ここで敬三は真っすぐ奥へ進むので構図は乱れません。


       次のショットで部屋を映す向きは縁側からとなり、左手から部屋に入って来た敬三は右向きの立ち姿、彼との間に志げと幸一を挟んで紀子が右手前におり、この三人は敬三に向きます(1:50:25)。ここは頂点の電灯を左寄りに二つとして、三角形の隙を埋めています。敬三が座って低くなったので、鴨居から掛けられた衣類をつなげることにより、その崩れを補います。これに加えて、彼のお辞儀に合わせるように紀子はさらに頭を下げます(1:50:37)。


       げが母の亡くなった時刻を敬三に教えるときは、彼女と紀子、それに裏庭の葉鶏頭で三角を作ります(1:50:47)。敬三のアップで、彼は次のショットに合わせて体の傾斜とは反対の左側に、首を無理に傾けて三角に近い姿勢をとります(図2 1:50:52)。そして例外として、彼の頭を右寄りにすることにより、頂点も次のショットに映る電灯と重なります(後にある、ほぼ同じ型の図3を参照)。それは、ここでの志げとの会話よりも後に続く流れを優先しているからです。小津映画で唯一母親の死を扱った作品であるため、その禁を破ったこのショットのつなぎ方も他の作品にはないものだろうと思われます。

     

    「東京物語」の名場面 2
     図2

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    その、次にくるショットでは、京子の抜けを補うために敬三は右端にいます(1:50:59)。彼が母の顔を拝みに近寄ると、形の乱れを整えるために、さらに不自然に上体を屈めて右に傾きます(1:51:20)。ここは佐藤忠男の指摘する処でもあります。


       に促されるように、紀子は外に出ている周吉(笠智衆)に、敬三の到着を知らせるために立ち上がると、縁側へ降りながら左、右と彼の居場所を確認して、右手の方に去って行きます(図3 1:51:51)。注意して見ると、この間に彼女は前向きであっても後ろを向いても構図を乱さない右への前傾を保ち続けて、なるべく他の人物と重ならないように努力しているのが分ります。つまり背筋を伸ばして腰を曲げた、くの字の姿勢をとるのです。この動きのある姿勢は、セザンヌの数ある大水浴を連想してしまいます。特にフィラデルフィア美術館蔵のそれで、紀子はさしずめ左から五番目の顔が描かれていない裸婦のようです(図4 一八九八〜一九〇五年)。

     

    「東京物語」の名場面 3 「東京物語」の名場面 4
     図3  図4 セザンヌ「大水浴」

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


       前傾で部屋を出て行くのは京子の時にもありましたが、彼女は正面近くを向いて座っていたので、見た目の傾斜はほとんどなく、立ち上がってもそれを保つだけなので自然でした。紀子の方は深く身を屈めたまま、左の遠い処からの移動なので不自然さが目立ちます。このすぐ後に右手から京子が現れて、新しく空いた場所に座ることにより三角形を作り直します(1:52:19)。今まで彼女がいた処は前を敬三が埋めているので、そこに戻る必要はありません。


       は総ての小津映画の中で最も有名な場面。ここでは今までのショットにあった三角ではなく、独自の構図が現われます。それによって屋外であることと合わせて、この場面を際立たせているのが分ります。両端に鳥居と鐘楼、間には石灯籠が二つあり、周吉がその右寄りに立って朝日の昇る海を見ています。そこへ既に腰を伸ばした状態の紀子が、彼と左の石灯籠との隙間を埋めるように近づきながら、上辺が曲線となる凹の構図を完成させてゆきます(1:52:24)。


       そして紀子は周吉の前に出て、彼に敬三が来たことを伝えます(1:52:33)。ここは右奥の石灯籠と周吉、紀子が均等に並ぶ三本の垂直線になり、右寄りではあっても上辺が傾斜する綺麗な四角形を作っています。さらに紀子はわずかに左に退きながら、周吉と同じ向きになって海を眺めます(図5 1:52:48)。彼女が均衡を崩すことにより、左右の釣り合いの取れた形が現れて、ここでの構図は完成します。次のショットで家に戻る周吉と紀子はカメラに近づきながらも、横に並んで上辺が曲線である凹を保ち続けます(1:52:53)。

     

    「東京物語」の名場面 5
     図5

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    奇妙な振る舞い

       人が戻る間の平山家では、初めに京子が座っていた部屋の右奥に敬三が移動していますが、これは彼の俯く顔と母の姿をもう一度映すために、その位置を変えたのだと思われます(1:53:03)。敬三は物語の後半から現れ、先ほどの流れを会話に優先したのと同じように、ここでは葬式での退出につながる、その存在感を出すためのショットでもあります。しかし芝居としての理由はなく、まもなく戻る周吉と紀子は近道をして、後ろの縁側か廊下から入って来るはずなので、敬三は一番邪魔な処にいることになります。


       さらに疑問な点は、敬三を出迎えた後の京子の戻り際。彼女はそれまで何をしていたのでしょうか。見ための時間も敬三が玄関から上って奥に進み始めてから、彼女が廊下から現れるまでには約二分の間があるのです(1:50:16〜1:52:08)。脚本には「147 茶の間――座敷 敬三、京子と一緒に『こんにちは』と這入ってくる」と書かれています。その後、葬式の場面に移るまで京子についての記述はなく、敬三が位置を変えた最後のショットそのものが脚本にはありません。これらにより彼と京子の奇妙な振る舞いは、撮影時に主に構図を優先して決められたことが分ります。


       三がやって来るまで、志げの前を彼の座る場所として空けていますが、彼女の顔は電灯よりも前にあります(図1)。彼が座った後は志げが少し退いており、彼女の顔は電灯の真下に来ています(図3 1:50:59)。それは初めから、ここにいたのでは志げの前が空き過ぎるからです。本来ならこの後、敬三が母の枕元に近寄る時に志げが動くべきですが、それでは見た目が良くないので、彼が現われるまでに予め分からないように下っていたのでしょう。事実、部屋に入る彼を縁側から映すショットでは、すでに志げの顔は電灯の真下にあります。


       しかしよく見ると、彼女の後ろにいる紀子は敬三が現れた後は少し左に動いており、それに合わせて障子や硝子戸の位置までも変っています。そして左端の幸一は動いていないので、彼と紀子、志げ三人の間が均等に詰まっています。ここも構図のために、紀子を志げと幸一の真ん中に移動させていたのです。さらに敬三が座った後は襖が右に開かれ、その手前の蚊取り線香は左に動いています。これも彼の居場所を広げるためのものです。


       三が母の枕元に近寄った後、部屋を出た紀子と京子が入れ換ると、京子は少し右寄りに座り、彼女と志げの間が詰まります。これは敬三が前進することにより、彼と志げに隙間ができたために、乱れてしまった構図を作り直しているのです。しかし構図の問題がないとしても、小津には同じような複数のショットを撮る場合、このように形を変えて単調になることを防ぐことも多くみられます。


       例えば、この場面で敬三が母の枕元に座るショットは三つありますが(枕元に近づく 1:51:20, 紀子と京子が入れ換る図3 1:51:43, 部屋の奥に移動する 1:53:03)、はっきり示される人物の移動以外にも、カメラの高さや向き、被写体への距離が変っています。画面下のお膳や鞄の位置は二番目のショットで高くなり、右側にある襖の幅や、鞄の映り方は三ショットで全て異ります。襖や鞄も動いているでしょう。最後のショットは敬三が奥に移動したことにより蚊取り線香が邪魔になったので、いつの間にか幸一の前に用意されていた灰皿の横に置かれており、さらに京子も少し左に動いて、紀子が座っていたのと同じ処にいて構図を整えているのが分ります。


       の晩に医者のいる間は、部屋には彼を含め五人もいて窮屈なために、ここは三角ではなく五角形、野球のホーム・ベースのような形になっています(図6 1:42:52)。それでも京子は台所で氷を掻いており医者が帰るまで部屋に入らないので、これ以上の乱れを防いでいます。医者と幸一の二人だけが映る時はその間が詰まり、それに合わせて背後の開かれている障子も狭まります(図7 1:43:12)。このとき左に志げのあおぐ団扇が見えるのですが、彼女と右隣りの周吉は映らないので、二人は母の布団から離れて志げは左手前、周吉は右手前に後退していることになります。

     

    「東京物語」の名場面 6 「東京物語」の名場面 7
     図6  図7

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


       このような寄りと引きで中心に映る二人の距離が変るのは、すでに二年前の「麦秋」夕飯の場面で、子供二人によって行われていました(1:57:42)。そこでは前と後ろから二ショットある引きの時に、体は重なっても家族七人すべての頭部が見えるように、彼らの位置をわずかにずらしています。子供二人の寄りでは左右の人物(三宅邦子、菅井一郎)は膝の辺りだけ映り、その手の動きが急に止まってしまいます。


    深夜の移動

    「東京物語」に話を戻します。医者が帰った後、この場面の終りに四人が座る位置は奥の左から京子、幸一、手前は紀子、周吉となります(1:47:23)。志げは幸一に連れられて、周吉と三人で次の間に出た後、まだ部屋には戻りません。彼女が退出している間に、医者を送りに出てから先に戻っていた紀子に場所を取られているので、二人はこの後、元のように入れ換ったでしょうか。翌朝になると周吉が抜けて、奥の左から紀子、京子。そして手前に向って志げ、幸一が座っています(図1)。つまり全員が居場所を変えていたのです。ただし、志げと紀子が晩に入れ換っていたなら、志げだけは動いていませんが。


       それでは、彼らはどのように移動したのでしょうか。一例を挙げてみると、先ず志げと紀子が元の場所に戻っていたとして´◆幸一が母の最期を看取った後、前の晩にはまだ湯呑がお膳の上にないので、それを用意するために京子が立って、続いて幸一が湯呑のある処に移り、次に京子が母の枕元を整理するためにそこに移動ぁ△修靴撞子は京子を手伝った後、彼女のいた処にァ⊆吉は明け方に部屋を出ていたΔ箸覆蠅泙后2燭譴砲靴討癲⊆尊櫃砲修瞭阿を映したものは、かなり醜くなりそうです。

     

     

    晩:     翌朝:
     京子     幸一       紀子  京子
    母とみ  とみの亡骸 
     紀子     周吉       志げ (周吉Α
     志げ       (紀子◆
        幸一

     


       は何故、このような配置に変えたのでしょうか。それを見極めるために、翌朝になってから場面の最後までの推移を追ってみます(青=入場、赤=退場、緑=移動)。翌朝からは、奥にいる京子´イ筏子だけが出入りして、手前の幸一と志げの二人は動きません。そして志げの前は敬三の座る場所として空けてあります。これにより夜中の移動は、彼が現れてから場所を変えるΔ泙任亮蟒腓里燭瓩僕儖佞気譴討い燭海箸分ります。これらは全て構図の乱れを抑えるためなのです。

     

     

    翌朝から場面の最後まで:
     
    (1:48:16)    (1:49:53)    (1:51:20)
      紀子  京子     紀子     紀子 
    とみの亡骸       
      志げ     志げ     志げ  敬三 
      幸一     幸一     幸一 
           
    (1:52:07)    (1:52:18)    (1:53:03)
         京子     京子  敬三 
            
      志げ  敬三     志げ  敬三     志げ 
      幸一     幸一     幸一 

     


       の他の配慮として、人物が部屋を出入りするときは、画面の手前で移動させないことが挙げられます。敬三が部屋に入る時は、反対側から撮って彼を遠くにしています。前の晩、医者は始めから奥にいるので立ち上がるとそのまま退出し、紀子はほぼ真っすぐ奥に向ってから彼の後について行き、ここでも二人は前傾姿勢をとります(1:43:50)。これは紀子が医者に謙るような、場面に適した演技でもありますが、翌朝の京子、紀子と同じように後にいる紀子の方が傾斜が深く、その角度も全体の構図に合わせているのです。つづいて氷を掻いていた京子の入室は、大胆にカメラの前を横切って部屋の奥へ移動しますが、ここは医者の退出からの同一ショットにすることにより、逆に変化を抑えています。

     

       幸一と周吉、志げの三人の退出では、カメラの向きを反対にして幸一だけが手前から移動し、奥にいる二人は立ち上がると、彼の後について直ぐに部屋から出て行きます(1:44:40)。彼らが戻る時は一人ずつにして、それも三人ではくどいので志げの移動は撮りません(1:46:29)。そして幸一や周吉が別室から出た後は、少し間を置いてから母の眠る部屋を映しています。小津映画にある部屋の出入りは、人物が現れるのを待ち構えて撮るのが一般的ですが、ここは部屋に入る動きを省くことにより、構図の乱れを防いでいるのです。幸一は背中を見せた状態から奥に廻り、周吉もそこから数歩前進して座り込むだけです(1:47:15)。

     

       様の型でも、これとは違う性質のものが他の作品にあります。「早春」で杉山(池部良)は出勤のため、千代(岸恵子)を旅館の部屋に残して立ち去ります(47:46)。「彼岸花」の平山渉(佐分利信)は仕事を再開するためにトイレに行くと偽って、佐々木初(浪花千栄子)が後を追うのを思い止まらせながら部屋を出て行きます(21:51)。前者は独りになった千代がしばらく映り、ショットが変ると杉山は既に廊下を歩いています。後者は平山を見送る佐々木が独りになったすぐ後にショットが代るので、まだ平山がドアのノブに手を掛けてはいますが、出て来るところは映していません。この二つは構図の問題ではなく、部屋に残された者と立ち去る者とを対比するための、置いてきぼりの表現といえます。

     

    【参考文献】

     

     (本文ここまで)




     

     

     

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