◆変な小津映画(3)−変な「お早よう」

  • 2018.03.21 Wednesday
  • 05:05

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

 

変な「お早よう」 【参考文献】


 

画面の枠を崩す

 

 津の映画では、通常は人物が画面の端から現れたり外れたりせずに物の陰でそれが起ります(小津作品のスタイル―正面からの人物撮影について)。これは小津が「画面のワク――絵画でいえば額ブチに当るものを非常に意識してしまう」ので(年寄りにも楽しい映画を)、人に限らず動物や乗り物など、動くものが画面の枠を崩すように出入りすることを嫌ったためです(ある監督によると、画面の枠を崩さないのは松竹の伝統だったらしいですが)。

 

 かしここにも例外はあり、中でも「お早よう」が目立つようです。それは部屋の中を人物が比較的カメラに近い状態で動き廻るときに多く現れます。この人物を近距離で撮る場面が他の作品とくらべて特に多いので、彼らが動き出すと画面の端から外れやすいのです。とくに福井(佐田啓二)が畳に座った状態で向きを変えながら、前進する処で半身現われるショットは珍しいと言えます。屋外では下の子が土手を駆け上って走り去る場面でも一度外れますが、このように屋外で走りながら直角に向きを変える動きも他に例がないでしょう。以下、それらのショットを挙げます(*付きは全身が出入りするもの)。

 

 

 「お早よう」17(*6)件

  立ち上がって頭が外れて、歩き出して右へ外れる(08:47)

  右から現れる(22:12)*

  右へ外れる(22:52)*

  下半身が左から現れる(22:59)

  頭だけ左から二人現れる(40:16)

  上半身が左へ二人外れる(42:36)

  頭だけ左へ外れる(47:48)

  右へ二人外れる(50:52)*

  足元を除いて右から現れる(51:17)

  右に半身かくれている状態から現れる(1:02:30)、非常に珍しいショット

  右から現れる(1:08:03)*

  頭だけ左へ外れる(1:12:45)

  左から肩から下の左半身だけ現れる(1:15:18)

  土手を駆け上りながら左へ外れる(1:18:28)*

  続いて右から現れる*

  立ち上がって肩から上が外れて、歩き出して左へ外れる(1:22:10)

  左から肩から上だけ二人現れる(1:24:06)、硝子戸ごしなので例外

 

 

 に「お早よう」前後の「彼岸花」「浮草」を挙げてみます。これら二作品ではこの現象があまり起りません。「彼岸花」は多そうですが、全身の出入りに限ると最後の二つだけとなります。

 

 

 「彼岸花」12(*2)件

  頭だけ右へ七人外れる(03:31)

  胴体だけ右から現れる(11:20)。硝子戸ごしなので例外、以後省略

  上半身だけ右から現れる(16:16)

  上半身だけ右へ外れる(22:16)

  上半身だけ右から現れる(28:20)。布越しなので例外

  上半身だけ左へ外れる(28:26)

  胸から上だけ右から現れる(58:32)

  頭と足元以外右へ外れる(1:25:24)

  頭と足元以外右から現れる(1:25:44)

  頭と足元以外右へ外れる(1:25:52)

  右へ二人外れる(1:33:36)*

  左へ六人外れる。全身は三人だけ(1:37:55)*

 

 「浮草」7(*3)件

  上半身だけ右から現れる(04:04)

  俯瞰のため上から二人現れる(06:04)

  右から十五人現れる(06:18)*

  右から三人現れる(16:16)*

  肩から下だけ左へ外れる(39:06)

  右へ五人外れる(1:05:00)*

  腰から下だけ右から現れる(1:39:38)

 

 

 たこの画面の枠を崩さないという特徴は、他の小津調と同じように後年になるほど強くなると思われるので最後の作品「秋刀魚の味」を挙げ、さらに役者に自由に芝居をさせたという反小津調の「早春」も挙げておきます。「秋刀魚の味」十(*一)件、「早春」二十七(*六)件、予想通り全身の出入りは前者が一番少なく、後者は多い結果となりました。

 

 

 「秋刀魚の味」10(*1)件

  肩から下だけ左へ消えて、すぐ左から現れる(17:21)

  肩から下だけ左へ消える(25:09)

  金網越しに頭だけ右へ二人消える(47:37)

  足元を除いて左へ二人消える(52:06)

  右へ消える(52:12)*

  足元を除いて左へ消える(52:20)

  頭と足元以外右へ消える(58:24)

  頭と足元以外右から現れる(58:38)

  肩から下だけ左へ消える(1:00:20)

  上半身だけ右から現れる(1:47:32)

 

 「早春」27(*6)件

  上半身だけ右から二人現れる(06:41)

  左から五人現れる(06:51)*

  左から五人現れる(07:12)*

  左から六人現れる(12:04)*

  上半身だけ左から現れて、頭だけ右へ消える(13:51)

  肩から下だけ左へ消える(19:43)

  肩から下だけ左から現れる(23:00)

  左から現れる(23:11)*

  膝から上だけ右から現れる(27:39)

  上半身だけ右から現れる(28:21)

  上半身だけ右へ消える(28:31)

  頭だけ左から現れて、左へ消える(29:44)

  上半身だけ右から現れる(39:12)。窓越しなので以後省略

  左から現れる(39:25)*

  頭だけ右へ消える(39:54)

  肩から上だけ左から二人現れ、左へ一人消える(53:28)。ドア越しなので以後省略

  暗がりを肩から下だけ左から三人現れる(1:02:55)

  柵越しに右から現れる(1:13:21)

  上半身だけ垣根越しに右へ消え、下半身だけ左へ消える(1:13:36)

  暗がりを左へ消える(1:39:50)

  暗がりを肩から下だけ左から現れる(1:40:23)

  暗がりを肩から下だけ左から二人現れる(1:41:14)

  下半身だけ右から現れる(2:05:05)

  右からボートの九人が現れる(2:17:20)

  橋の上を左右へ無数の人々が現れ消える(2:17:52)

  左へ二人消える(2:18:00)*

  肩から上だけ右から現れる(2:19:13)

 

 

 かし映写時間を考慮すると、一・五倍の長さ「早春」に対して「お早よう」が二十六(17×1.5)件(*九(6×1.5)件)となり、全身の方は逆転します。また「早春」は件数の割りにあまり目立ちませんが、それは台詞のないエキストラ的な人物や、屋内の暗いショットによるものが多いためと思われます。さらに白黒作品であることや、役者が自由に芝居をしていることも要因でしょうか。

 

 

午前が土手の東、午後は西

 

「お早よう」の初めと終りに、子供たちが土手の上で道草を食いながら、おでこを突き合う遊びをしています。初めの方は下校途中(図1 02:58)、後は登校時(図2 1:29:45)。ここで画面奥が帰宅方向、その手前であるカメラの後ろが学校のある側になります。この二つのショットを比べると、どちらも子供たちの影が画面に向って右奥から左手前にほとんど水平に伸びています。したがって、この二つは同じ時間帯ということになります(後者の方がより水平に近いので少し後)。さらに煙突の煙もほぼ真横に同じように流れているので、同じ日に続けて撮ったのでしょう。小津の日記もここの記述は一つあるだけです。昭和三十四年四月十四日「ロケ 六郷土手 子供たちのくだり 快晴 大変草臥れる」。画面奥の土手の先は低く見え、影もそちらから伸びているので南。日の射す右手の方角は西側で、時刻は夕方前となります。

 

変な「お早よう」1 変な「お早よう」2
 図1  図2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 りに登校と下校を正しい時間で撮ったとすると、日の当り方が変ってしまうので、そこは小津美学として、本当らしさよりも美しさを優先して同じような光景にしたのだと思われます。もう一つ担任教師が「おい、道草食ってちゃ駄目だぞ」と注意する登校時の場面がありますが(19:59)、ここでの影は画面奥から手前に、垂直に短く落ちているので時刻は正午ごろ。こちらは北に向かう多くの人物を後ろからも撮るので、彼らに正面から陽の射す時間帯を選んだのでしょうか。

 

 これらとは反対に宅地側からの土手は、綺麗に映すために陽が土手を正面から射していることが多く、少なくとも逆光ではありません(03:13)。土手に向って右側が北なので、背後の陽は東側になり時刻は午前中。このため土手の上の撮影は午後にしたのでしょう。土手下の二人の子供の食事も陽は西から射しますが、彼らは宅地から隠れる西側にいるので映りも良い(1:17:05)。ただし実際の場所は、宅地側と土手上が六郷、西はガス橋付近と異なるようですが。小津の日記に四月十八日「玉川の瓦斯橋近くの土堤で子供たちの食事のところとる くもるが一先ずこれで完了にする……草臥れる」とあります(小津は子役を使うのに、よく草臥れます)。

 

 最後に登校時の子供らが土手を駆け上がるショットでは、それまでと同じように、陽は後方の東側から射しています(1:28:26)。その少し前は家屋のわずかな隙間から、荷車を牽く人が通過するのが見えますが、これを映すときの陽は南側から射しており、同じ時間帯ではありません(1:27:14)。ここは土手からかなり引いて左側から撮っているので、右手の家屋の映る割合が高くなります。かりに最後の土手と同じ陽の向きにすると、右の建物がほとんど日陰になてしまいます。カメラを右に寄せて左側の建物を多く映せば、早い時間でも陽の当りは良いかも知れませんが、そうすると土手の上に見える鉄塔が、右側の建物の陰に隠れることになるでしょう。

 

 もあれ、「お早よう」土手際の撮影においては、宅地側は午前中、土手から西は午後の時間帯となっているのが分ります。

 

 

家屋の配置

 

 家の節子(久我美子)が裏庭で洗濯物を干しながら隣の丸山家引越しの噂をする場面では、陽が丸山側から射しています(1:10:43)。脚本にある家屋の配置を見ると、丸山宅は林宅の南側なので陽は北に射しており、時刻はお昼頃と思われます。しかし、そこに書かれている配置は全般的に矛盾が多いことに気づきます。例えば林宅の裏庭の向かいは原口宅のはずですが、実際には物語に絡まない別の人物が住んでいます。そもそも原口宅のように向かいが絡むのは玄関側だけなのです。

 

 

 
脚本の家屋配置:
  

   土   


   手   
   
 他の家     富沢    



 原口      林   
 大久保     丸山  
 他の家     他の家 



 
 


 

 

 

 さらに原口きく江(杉村春子)が玄関から自宅に入ろうとした時、向かいの富沢とよ子(長岡輝子)に呼び止められて防犯ベルの相談を受けますが(33:24)、今見たように脚本では林宅が向かいになっています。また終りの方で子供たちが土手を駆け上がる場面では、彼らは原口、大久保両宅の勝手口の間から原口側を正面にして右に走り去りますが(1:28:16)、これは土手の反対側です。

 

 の他も考慮して配置を正してみると、ちょうど南北(上下)の並びが反転することになります。これを次に示しますが、後の説明のために、正した方は実際にある土手ぎわの他の家を追加しておきます。

 

 

 
正した家屋配置:
  

   土   


   手   
   
         丸山    












 他の家     大久保     林   
 他の家     原口      富沢  



 
 

 

 

 れで家屋の配置に関する矛盾はなくなりましたが、なおそれに関する人々の出入り等には疑問が残ります。以下にそれらの八点を挙げます。

 

 

原口の息子、幸造が丸山宅にテレビを見に行った時、林宅の前を通るはずが、いきなり丸山の玄関前に来てしまう(07:02)

 

林家の二人の子供が、福井のアパートに英語を習いに行くと偽って丸山宅にテレビを見にいく時(09:07)、玄関を右(北)に出て方向は正しいが、福井のアパートは逆(南 12:05)なので、それを見ていた母親(三宅邦子)にばれるはず

 

原口きく江(杉村春子)が、丸山宅でテレビを見ている子供たちを呼びに来た時、玄関右手(北)から現われるので、これも向きが逆(10:45)。帰りは左のようだが、右から左にサスペンスを表しているのか

 

きく江が会費の件で林宅に詫びに勝手口を出てから、祖母みつ江(三好栄子)の愚痴が二十秒以上あるが、その間に未だ、きく江は林宅に着いていない(31:50〜32:15)

 

きく江が会費の詫びを済ませて玄関から自宅に入ろうとする処を、向かいの富沢に呼び止められ防犯ベルの相談を受けるが、話を終えると何故かきく江は勝手口に廻って、隣の大久保(高橋とよ)と「いいお天気」の言葉を交わしてから家の中へ入る(34:20)

 

林家の節子が裏庭で洗濯物を干しながら隣の丸山の引越しの噂をする時、陽の向きは丸山側からであり北から射している(1:10:43)

 

林家の二人の子供は兄実の担任教師(須賀不二男)の家庭訪問を受けて裏庭から逃げ出すが、突当りに丸山宅の壁があるのでその壁ははみ出しており(1:12:38)、Δ任琉越しの様子は分らないのではないか。彼らが勝手口の反対方向に廻り込む時は時間が戻っている(1:12:50)。そこから玄関の様子を伺う子供たちの影は家屋の方に伸びているので、ここも陽は北から射している。さらに北側の丸山宅がない!!!

 

 

 
壁のはみ出した丸山宅
(すぐ後に消える)
  
  丸山           
 
  林     裏
 庭

 

 

駅前で福井に保護されて、自宅に戻った林家の子供たちは玄関の左(南)から現れるが、駅前にいたのなら向きが逆(1:24:04)。事件が解決したので左からなのか。富沢汎(東野英治郎)が泥酔して間違えて林宅に入った夜は右(北)から来て、左に出て行っており(1:07:54)、汎の妻とよ子が町(駅周辺)に買い物にでる時も北へ向かう(1:29:14)

 

 

 陽の射す向きのおかしいΝГ砲弔い討蓮△匹舛蕕睛曚鱚採錣謀てるためだったと思われますが、この二点の陽の向きに関しては脚本が正しいことになります(正しいというより、たまたま合っているということか)。Δ榔Δら当てると逆光になってしまうので反対を向いた家を使ったはずです。Г諒は林宅が両隣に挟まれているので、端にあって更にこちらも向きが逆の家、原口宅を使ったのではないでしょうか。前後が二件(富沢宅、他の家)なのも一致します。

 

 

林家の血縁関係

 

 本での配役をみると、林家の節子の名字が有田と書かれています。これにより敬太郎(笠智衆)は婿に入っており、妻の民子と節子が実の姉妹だということになります。福井加代子(沢村貞子)が節子に話すとき、同窓生である民子を「お姉さんに、そう言っといてよ」と呼んでいます(22:34)。民子役の三宅邦子は「麦秋」でも、同じような反抗期の二人兄弟の子供を持つお母さんの役であり、その夫康一役も笠智衆です。さらに夫の実妹紀子(原節子)が同居しているわけですが、夫婦が同じ配役なので芝居に差を出すために同居する妹との続柄を変えたのでしょう。それが直接話に上ることはありませんが、敬太郎と節子がお互いに気兼ねしているようには見えます。

 

 ふたりが一緒に帰宅することはあっても(17:42)、会話する場面は二人だけのものはなく、民子を交えて、節子「ただいま」、民子「お帰り」、敬太郎「遅かったね」(43:48)、それと次男勇のジェスチャーを見た時の民子「何だろう?」、節子「何かしら? お兄さん分る」、敬太郎「いやあ」(59:24)の二回あるだけですが、後者はそれらしくも見えます。

 

 太郎夫婦の子供、実と勇が父母のどちらに似たのかを話題にする場面(58:40)にも含みがあるでしょうか。節子は本音を言わず敬太郎に遠慮しているようです。それに引き換え、「麦秋」の紀子は実兄を何時もやっつけていました。

 

 

熟した構想

 

 津は「お早よう」を製作した翌年の昭和三十五年に、この作品について二十年も前に考えた話だと言っているので(巨匠の太陽・新人の太陽)、それは昭和十六年「戸田家の兄妹」の頃になります。また彼は戦前にサイレントの心理描写について以下のように語っていました。

 

 

「『愛しています』としゃべる為と『お早よう』と云わせる場合と、俳優のアクションに違いが無くてはならないのは解り切った事だのにそれが嘗つて行われていない場合がしばしばあった…で…僕は映画の『常識』として必要なだけの心理描写、つまり一つのタイトルに対する一つのアクションのその層を深からしめ、より真実に近からしめ様と努めた」(/感映画について)

 

 

 こでは未だ台詞と役者の演技に関しての正当な演出方法を述べているだけですが、その後「お早よう」のテーマである「いざ大切なことを話し合おうとするとなかなかできない」(映画の味・人生の味)と、台詞の裏をかくような演出に発展していったのでしょう。この記事は昭和十一年一月号なので、昭和十年にはこの案があったはずです。さらに構想がわくまでに三年、「お早よう」は昭和三十四年の作なので、これを実現させるまでには、実に二十三年以上の期間があったということになります。「大事なことはなかなか言えない」ので(1:21:17)、「愛しています」の台詞は「アイ・ラブ・ユー」と英語に変えて子供に言わせています。

 

 小津は「お早よう」を作ろうと決心するまで、この案を他の監督に譲ろうとしていました(同上)。その理由は「いざ撮ろうとするとなかなか難かしい」ということですが、彼が先の記事の四年前の作品「生れてはみたけれど」で、子役を使うのに世話がやけて懲りてしまったことも原因の一つだったようです(∋劼匹發縫灰蠅燭)。それでもこのテーマに固執したのは、小津が子供の生態を描くことは好きだったと言えます。以後の作品でも主役こそありませんが子供は何度も登場して、「麦秋」ではミニチュアの鉄道模型の場面で大勢を扱っていました。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)




 

 

 

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  • 2019.07.19 Friday
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