◆小津の演出(1)−抑えた演出

  • 2018.03.23 Friday
  • 05:08

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

 

抑えた演出 【参考文献】


 

 津は台詞を含めた役者の演技や背景描写など、演出全般にわたって説明過剰になることを避けました(大人の映画を)。オーバー・ラップやフェイド・イン、フェイド・アウトなどの技術もカメラの属性と見限って、サイレントの「生れてはみたけれど」('32年)までには使わなくなりました。

 

しかし「戸田家の兄妹」では、悲しげなBGMが物語を象徴する冒頭や、後半の母と末娘の心境を表す場面で流れます。そして翌年の「父ありき」の病室(1:19:00)では、窓から射しこめる陽の光を厚田が強調したところ、監督から大変褒められたとのこと(ァ屬釜」と「蟹」のロー・ポジション―アイディアルの)。

 

さらに戦後になると、「東京物語」から「秋刀魚の味」まで「お早よう」「小早川家の秋」の二本を除いて音楽を担当した斎藤高順は、悲しい場面でも明るい音楽を作るようにと監督から指示されています(㉘第三集 インタビュー集)。以上のことから役者の演技以外の演出では、説明過多を避けた原因として厚田の役割が大きかったのかも知れません。

 

 っとも、F・I、F・Oの方は監督の記憶違いで、四年後の「一人息子」が最後となっています。また物語の始まりと終りにF・I、F・Oするのは「父ありき」を除いて白黒最後の「東京暮色」まで続き、「戸田家の兄妹」だけは終りのF・Oがありません。

 

 カラー作品では同じ年に作られた「お早よう」「浮草」の二本は、物語前の字幕「監督 小津安二郎」だけがF・Oします。カラーでF・I、F・Oが無くなったのは黒くすると見苦しいからなのか。以下に、小津の過剰な説明を避けたさり気ない演出を挙げます。

 

「晩春」父娘で京都の旅館に宿泊した翌朝、父の周吉(笠智衆)が歯磨きをしてから口を濯いで吐き捨てる時に、隣にいた娘の紀子(原節子)は何気なく脇に避けます(1:21:46)。

 

「麦秋」の矢部たみ(杉村春子)がプロポーズを受けた紀子(原節子)に言う「紀子さん、ぱん食べない、あんぱん」は、彼女がすでに気持ちの上では紀子を家族として扱っていることを表しています(1:27:44)。

 

「早春」で仲人の小野寺(笠智衆)を二階に泊めた晩には、妻昌子(淡島千景)が明日の朝、美味しいご飯が炊けるようにと米をとぎます(21:20)。前の晩といで水に漬けておけば旨く炊けるというのは一般的な意味ですが、ここでは仲人に美味しいご飯を食べてもらうというのが趣旨。普段は夫(池部良)のためには美味しいご飯など炊いていないということになりますが、彼の方も意に介さずという態度。

 

「お早よう」では、英語を教えている福井(佐田啓二)宅で、よその子の毒ガスを浴びないように林家の下の子が避難します(15:22)。小津映画にはこのように余計な説明を省く場面がままありますが、それに気がつかなくても雰囲気は伝わってきます。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)




 

 

 

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