◆小津の演出(4)−海ゆかば

  • 2018.03.30 Friday
  • 05:10

 

JUGEMテーマ:日本映画の監督

 

 

海ゆかば 【参考文献】


 

 画監督の田中康義は、小津映画「父ありき」には終戦後になってから、GHQの圧力によりカットされて、今では観られなくなった処が二ヵ所あると指摘します(㉗第三集 受難の『父ありき』)。その一つである詩吟は、同窓会の場面で平田(坂本武)が歌うはずだった藤田東湖、幕末の勤皇の歌を、撮影時に堀川(笠智衆)による広瀬武夫、日露戦争の軍神のそれに代えたという、同じ題名の「生気歌」(ややこしいですが、詩吟はこういうものが多いのでしょうか)。もう一つは最後に流れる軍歌「海ゆかば」。

 

ここで参考のため当時の検閲の元となった、昭和十五年八月に当局から映画会社に送られたという文章を挙げておきます(戦争体験―「お茶漬の味」初稿)。

 

 

 一、当局の望むものは健全な娯楽映画で、積極性あるテーマを希望する。

 一、喜劇俳優、漫才等の出演は、現在は制限せぬが、目にあまる場合は制限する。

 一、小市民映画、個人の幸福のみを描くもの、富豪の生活を扱ったもの、女性の喫煙、

   カフェーに於ける飲酒場面、外国かぶれの言語、軽佻浮薄な動作等は一切禁止する。

 一、生産部門、特に農村の生活を扱った映画の多く製作されることは望ましい。

 一、シナリオの事前検閲を厳重に実施し、前各項に反する場合ありと認めた場合は、

   何回でも訂正を命ずる。

 

 

小津はこの映画の脚本を昭和十二年の出征前に書き上げていましたが、それを差し置いて帰還第一作として、夫が出征する「お茶漬の味」の脚本を書きました。これは時局を意識してのことですが、その題名は「彼氏南京へ行く」だったのが、「彼氏」が検閲で不都合とされたので改めて、さらに有閑マダムの描写もしくは、出征前夜に夫婦でお茶漬けをすする場面が、それにひっかかってしまい映画を製作できなくなったとのこと(前者が本当の理由のようですが、そのため戦後になって夫の出征を海外出張に変えて作り直しています)。次に安全策として母性愛をテーマにした「戸田家の兄妹」を撮ったのですが、ここではそのテーマを強調するあまり、兄が妹に手を上げてしまいます(検閲で怒られた『お茶漬け』)。

 

 して満を持しての「父ありき」。太平洋戦争も前年に始まり徹底的に軍国主義、国粋主義におもねりました。不自然を承知でいれた軍神の歌と玉砕をあおる歌。ストーリーは父親に厳しく育てられる子を描きます。この作品は戦時下の国民映画として作られたのですが、その他の作家によるものには「元禄忠臣蔵」「川中島合戦」「大村益次郎」「将軍と参謀と兵」の四本があり、すべて戦争物か時代劇でした(「父ありき」飯島正)。

 

しかしそこは小津映画、嫌いなものは撮らない、譲れない。主な舞台は軍国主義の色が出てしまうような場所を避けるために、「生産部門、特に農村の生活を扱った映画」を表向きの理由として田舎を選びます。首都圏を映す時は工場敷地内やその関連ビル、碁会所あるいは父の旧友宅もしくは自宅、宴会場と数こそ多いのですが市街は絶対に撮らない。したがって兵隊も出て来ません。

 

ところで現在の視点から見ると、この父と息子良平(佐野周二)が別れてから最後まで、一緒に暮らすことが出来なかったというのはかなり無理があります。良平と平田の娘ふみ子(水戸光子)との突然の結婚も話が飛んでいる感じです。旧稿には父が良平の転職を非難する場面はなく、逆に良平が父と暮らせるように田舎での就職を断って東京で浪人生活を送り、就職できない息子を父親が慰めるという設定だったようです。さらに平田の家族らとハイキングをする挿話などもあったのですが、小津は検閲を考慮してそれらを全て削除してしまいました(⊆作を語る 注37、‐津監督に物を聴く対談 注45―6)。

 

 のように「父ありき」は終戦前後に内と外からその多くを改変、改ざんされてしまったのですが、その他にも短い台詞の追加、修正など細かな変更が目立ちます。脚本にあまり時間をかけなかったのか、それらには演出時に気づいて変えたと思われるものが多数あります。例えば冒頭にある朝の外出の場面。父が子に近づいてから、父「いいか」、子「うん」、父「忘れもんないか」追加/子の忘れ物は工作に使う切出しを何処かへ取りに行くのを、机の上にある算盤に変更/父が子の身だしなみを整えながら「だらしがないぞ」追加/子の算術の答えに、父「うん、よろし」追加。

 

さらに次に挙げるものが全て脚本にはありません。釣りの支度をしている父と子に和尚(西村青児−「生まれてはみたけれど」の担任教師)が言う「まあ、父さんも良平も、明日はわしに遠慮せんとうんと取ってきてくれ。引導はもうとうに渡してあるんじゃが、ここらの鮠はなかなかすばしこいで」(21:51)/父と寄宿舎に住む息子の面会場面の最後にある父の台詞「おい良平、こっちへおいで。おい」「泣いちゃおかしいぞ、男の子が。男の子は泣かんもんだ」(31:11)/息子が成人してからの塩原温泉での父の昔話「まだ、母さんのいる時分だった。お前まだ生まれてなかったかな」「そうですか」(46:04)。

 

 下に時代の影響と思われる、その他の脚本と映像との違いを16まで挙げます。

 

   
  1. (16 箱根の旅館 一室)修学旅行での、生徒の事故死の後にある葬儀の場面は、その亡骸や浴衣姿の生徒などの幾つかがない(09:36)

  2. (同上)父兄からの電報を受け取った教師が、堀川に渡して彼がそれを読む場面がない(10:13)

  3. (17 中学校の教室)修学旅行後の授業風景に、漢文「赤壁之戦」の朗読があるため丸ごとカットされている(10:41)

  4. (20 汽車の中)上田に向かう車中で父の最後の台詞「おい、あれが川中島だ」を「ああ、お前爪切ってくるの忘れたな」に変更(13:54)。川中島の風景を撮れなかったのか

  5. (26 田舎寺の縁先)父親が和尚と障子貼りをする場面(18:38)は、脚本では二人が囲碁を打って、石を取られた和尚は「坊主まるもうけか」などと冗談を言う。これは後の碁会所の伏線の積りだったのを、修学旅行でもやっているので三回はくどいと思ったのか。あるいは和尚が囲碁をやるのは可笑しいとの指摘があったか。この変更により和尚の天候についての台詞は、囲碁を打ち終ってから、和尚の「もう役場の方はなれたかね」の前にあったのを、父のものに変えて最後に移している

  6. (35 工場の職員食堂)最後の同僚との会話だけを残して屋外に変更し、その前に工場内の場面を追加(32:05)。これは職員達の野球についての会話に、シュート、スパイクと敵国の語があるためか。その前の交通機関の運賃の値上げをぼやくような話も問題があったのか。または生産現場を優先して食堂を止めたか

  7. (49-50 平田家別室と一室)平田の息子清一が、姉ふみ子に小遣いをねだる理由「漫画見に行くんだよ」をニュースに変更。父に言う外出の理由も同じ(37:40, 38:12)

  8. (56 黒磯駅のホーム)父と息子が駅ホームで落ち合う場面をなくし、台詞の一部を後の塩原温泉での入浴場面に移動(44:34)。ロケの問題か。しかし入浴時に移した次の台詞は今さら不自然な感あり

     

    「どうも途中で逢う約束が大分私の方に近かったな」

    「いいえ、混みませんでしたか」

    「ああ、いい塩梅に坐れた」

     

  9. (61 塩原 温泉宿の部屋)父の台詞「すぐだ。楽しみにしているぞ」の前にある父子の台詞をカット(53:55)

     

    「今度はお前の兵隊検査の時だな、逢えるのは」

    「そうですねえ」

    「なあに、また」

     

  10. (63 会社の応接室)堀川と成人した教え子黒川(佐分利信)、内田(日守新一)との面会で、黒川が平田と会ったという場所を銀座から京橋に変更(57:27)

  11. (同上)内田が良平の年をたずねて、堀川「二十五になりましたよ」の後にある「徴兵検査のついでに東京へ出て来ますもんで」以降を全てカットして、この場面を突然に終る(58:52)

  12. (66 堀川家の一室)父と成人した息子の対面で父「で、どうだった検査は」の後にある以下をカット(59:47)。このため父の姿勢がいきなり変ってしまう

     

    「甲種でした」

    「そうか、それは良かった」

    堀川ぴたりと坐って(あぐらから正座に)、

    「おめでとう」

     

  13. (同上)最後の「ええ、縁側から落ちて」の後をカット(1:01:57)

     

    「うん、小学校へ入る前の年だったかなあ」

    「ええ」

    「いや、よかった、『今日よりは顧みなくて大君の醜の御盾と出で立つ我は』だ。しっかりやんなさい」

    「ええ」

     

  14. (69 大川端の料亭)同窓会での内田の司会で、以下の彼と堀川の台詞をカット(1:06:07)

     

    「え、それから木下君、前田君、村松君は目下応召中、それぞれ、盛んに活躍されております」

    「では、まずお三方の武運長久を、お祈りいたしまして、杯をあげたいと思います」

     

  15. (同上)平田の挨拶の後半、「それから、ついでと申し上げては失礼でございますが……」と堀川の息子良平の近況である徴兵検査甲種合格を報告し、その後堀川の息子を皆で祝う場面をカット(1:07:47)

     

    「先生、お目出とうございます」

    「おめでとう存じます」

    黒川「では、堀川先生の御子息のために乾杯いたします……おめでとうございます」

    堀川「皆さん、ありがとう! せがれも喜ぶでしょう。よく申し伝えます。ありがとう!」

     

  16. (同上)同窓会最後の平田による詩吟を堀川に変更。このため送別会でも送る平田ではなく、送られる堀川が詩吟を歌ったことになり不自然だが、実演はカットして、この場面も突然に終る(1:10:36, 1:11:19)

   

 

 

同じ戦時下であることが表されるものでも、以下の舎監室での教師になった息子と生徒の会話は残っています(42:36)。生徒に「うん、だめだ」の台詞がり、戦勝国が優越感に浸れるからか。

 

 

 「兄さんは戦争へ行っておられるんだったな」

 「ああ」

 「お達者か」

 「うん、だめだ」

 「兄さんがおられんので家で困ってやしないか」

 「困ってねえす、近所の人がよくやってくれるから、そんなことねえっす」

 

 

 中眞澄によると、小津トーキー初期の四本はどれもカットされた処があり、「淑女は何を忘れたか」では「軍艦マーチを使った場面転換の処(シーン18から19)と、それに続く岡田の下宿の場面(シーン19)がカットされている」とのこと(映画と文学 注26)。それは後の光子(吉川満子)の台詞、「でもあの軍艦マーチって、そんな男じゃなさそうだけどねえ」(49:04)に対応するものだったからだと思われます。ここでいきなり軍艦マーチは不自然です。

 

脚本でこれに相当するのは「13 本郷あたりの学生下宿 大成館―日の丸の旗が立っている。」「14 岡田の部屋」になります(25:12)。番号が19、14と異るので、ここまでに五つのシーンがカットされているのでしょうか。しかし、この場面自体はカットされておらず、かわりにBGMがオリジナルの優しい曲になっているため日の丸とは合いません。

 

 れらの作品には、やはり他にも飛んでいる場面があり、例えば「一人息子」では母おつねの「市役所だって、聞いてただが」の前(21:48)。脚本では「31 台所」、

 

 

 良助「母ッかさん、ちょっと出掛けますがね――来ていただいてすぐ出掛けるなんてなんですけど――この頃、神田の学校で夜学の先生をしているもんですから――」

 おつね(訝かしそうに)「そうだか――市役所だって、聞いてただが――」

 

 

とつながり何の問題も無さそうですが、もしあるとするなら「来ていただいてすぐ出掛けるなんて」がそれか。あるいは神田の地名がまずいのでしょうか。「父ありき」には息子が神田の古本屋に出掛けるという台詞があるのですが。

 

「戸田家の兄妹」では法事後の会食で、次男昌二郎(佐分利信)が妹綾子(坪内美子)にびんたを浴びせたらしいですが、終戦後カットされたので残念ながら今は観ることができません。そこで脚本を読むと「83 座敷」で、

 

 

雨宮「そんな失礼な……」

昌二郎「何が失礼だ!(いきなり雨宮の頬に平手打ちが飛ぶ)……きみは帰ってよろしい」

雨宮「しかし……」

昌二郎「しかし帰ってよろしい! ……綾子一寸此処へ来い」

綾子、来て坐りかける。

いきなり頬を打ち、

昌二郎「よし、お前も一緒に帰れ!」

 

 

実際の映像では「綾子、来て坐りかける」に相当する処でコマがとびます(1:33:45)。雨宮の方は切れていないので手は出していないようですが、構想は練ったものの二人同時では演出が難しいから諦めたのか。封切り後の座談会「 惴妖腸箸侶史紂抔‘ぁ廚砲癲津村「既に現在は他人の女房になっている女を近衛敏明の配偶者の前で、ヒッパタクのはひどい」、小津「初めの予定ではもう一人、雨宮を殴る積りでした」、とあるので綾子の方は確実です。

 

「父ありき」では、教師になった息子が授業で火薬の原理を説明します(39:33)。戦時中の映画なのでそれらしく演出したのでしょうが、そのためだけに調べたのだとすると少し不自然です。小津は中国戦線から帰還して間もなく、「自分で戦争物を作る時はもっと火薬の研究をし、サウンド・エフェクトなども日本式、チェコ式、水冷式の機銃は勿論迫撃砲その他は音に特色もあり違ってくるから、そこまでゆかないといけない」(悲壮の根本に明るさを盛り込んだ戦争物)と言っています。結局彼は、後にも先にも戦争映画を作らなかったのですが、調べた資料はここで流用したのでしょう。

 

旧稿では斎藤達雄を父親役に予定していたようですが(ー作を語る 注14)、これは父の役柄を変えてしまったので斎藤では合わないとみて、「一人息子」で小津からも認められていた笠を抜擢したものと思われます(ー作を語る)。実際に「淑女は何を忘れたか」のドクトルとその助手であった斎藤、佐野の二人を想像すると、この親子では違和感があります。しかし本編では、息子役の佐野周二が、年の近い七つ違いの笠を「お父さん」と呼ぶのには抵抗があり、「気持ち悪かった」とのこと。

 

 跡での撮影は、監督の子役への演技指導がやたら恐そう。目もとが般若面です(㉘第三集の開いたケース左下の写真)。隣にいる父親役の笠智衆も「なにやってんだこの坊主、ちゃんと監督の言うことを聞きなよ」とでも言いたそうな表情をしています。これじゃあ子供は嫌がります、役者を一回で止めたというのも無理はない。しかし十年後に小津がこの作品について「息子をやった津田少年は今どうしてるかな、一度会いたいと思っている」と述べると(⊆作を語る)、その翌年には子役だった津田晴彦が「東京物語」の撮影現場を訪れたとのこと(ぁ嵒磴△蠅」を振り返って)。

 

【参考文献】

 

 (本文ここまで)




 

 

 

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